水谷淳
大調和会創立運営委員の洋画家水谷淳は2月24日午前7時37分、胆管炎のため東京都港区の虎の門病院で死去した。享年61。茨城県行方郡に1920(大正9)年11月17日に生まれ、工学院大学卒業後、44(昭和19)年、里見勝蔵、武者小路実篤に師事する。61年には、1927(昭和2)年11月に高村光太郎、武者小路実篤らによって設立され翌年10月の第2回展を最後に解散した大調和会を再興すべく創立委員となった。再興大調和会第1回展は翌1962年2月上野公園都美術館において開かれ現在に至っている。66-67年単身ヨーロッパへ写生のため自動車旅行。69年富士短期大学美術部顧問を務めた。71年には群馬県六合村小倉にアトリエを構え制作に没頭し、画風に一転機を画した。73年渡欧、又75-76年香港で制作し、海外の展覧会にも出品している。78年には和光ギャラリーにおいて「画業35年展」が開催された。翌79年、水上勉著作になる新聞小説『椎の木の暦』の挿絵を担当、原画展は81年小田急新宿店に於て開かれた。黒の輪郭線と厚く塗り重ねた原色による明るく輝くような画面には、フォーヴィズム及びルオーを日本に紹介した師里見勝蔵の影響がうかがえる。
出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(267-268頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「水谷淳」『日本美術年鑑』昭和58年版(267-268頁)
例)「水谷淳 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10142.html(閲覧日 2024-10-12)
例)「水谷淳」『日本美術年鑑』昭和58年版(267-268頁)
例)「水谷淳 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10142.html(閲覧日 2024-10-12)