前川千帆

没年月日:1960/11/17
分野:, (版)

 日展会員、日本版画協会相談役前川千帆は、11月幽門狭窄の手術ののち心臓衰弱のため17日逝去した。享年72才。本名重三郎。明治21年10月5日京都市に、石田政七の三男として生れた。同37年、父が死亡し、母方の親戚前川の姓をつぎ、関西美術院に学び浅井忠、次で鹿子木孟郎に3年間師事した。明治45年春上京、北沢楽天の東京パック社に入社、この頃から漫画に筆をとりはじめる。大正4年京城に渡り京城日報に勤め、更に6年東京に帰えり読売新聞、国民新聞社に勤務し、しばらくジャアナリズムの仕事に従っていた。大正8年第1回日本創作版画協会展に出品の頃から木版画の創作活動に入ったが、同時に新聞雑誌の挿絵、連続漫画も盛んに描き、「あわてものの熊さん」などで漫画家としても知られてもいた。版画は、版画協会展のほか、帝展、春陽会に出品する他、多くの版画と同じく、頒布会、或は小部数の出版による発表が非常に多い。各地を旅行したが特に中部から東北地方を愛したようで、東北地方の素朴な娘たちや温泉風浴、静かな風景を好んで描いている、其他、工場や、近代都会風俗を扱ったもの、草花図の類も少くないが、いずれも、木版の軽快な味を生かし、のどかで屈託のない画面をみせている。戦後は日展と日本版画協会展に出品していたが、35年「日版会」の創立に加わり、日本版画協会を退会し、相談役となったばかりであった。
作品略年譜
大正8年 第1回創作版画協会展に「病める猫」出品
大正9年 第2回創作版画協会展に「雪の木場」出品
昭和11年第4回創作版画協会展に「温泉(別所)」「郊外風景」その他出品、会員となる。以後同会には毎回出品する。
昭和12年 関東大震火災にあい、再び読売新聞社に入社、連続漫画「あわてものの熊さん」を執筆、以後晩年まで、新聞、雑誌に漫画、挿絵、などをかいている。
昭和2年 第8回帝展で初めて版画が受理されることになり「国境の停車場」を出品。
昭和6年 第12回帝展に「屋上展望」第9回春陽会展「登山軌道」など出品。また新に、日本版画協会創立され、会員として加わり以後毎年出品。
昭和16年 「浴泉譜」20回完成。「雑草」50回完成。その他「鰊場の女」「赤い手袋」等多数制作
昭和17年 第7回文展「紙漉場」、新版画展に「庄内の女」「かくまきの女」その他出品。
昭和19年 第9回文展に「訓練」出品、「続浴泉譜」20回完成
昭和20年 4月、岡山県久米郡に疎開する
昭和25年 第4回日展に「浴泉(第二)」出品。「花うり女」「梅林」その他。4月疎開先から上京、杉並区に居住
昭和28年 第7回日展「温泉宿の二階」出品。他に「浴泉裸女」「踊り子」など
昭和35年 日展会員となる。又日版会を創立したため日本版画協会を退会し、以後同会の相談役となる。10月4日幽門狭窄のため新宿の女子医大病院に入院、10月28日手術、11月6日再手術を行うも心臓衰弱のため17日逝去した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和36年版(137頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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