池田勇八

没年月日:1963/03/31
分野:, (彫)

 彫塑家、元帝展審査員・旧日展依嘱、池田勇八は、3月31日午後1時、狭心症のため東京都練馬区の自宅で逝去した。享年76才。明治19年8月28日香川県綾歌郡の牧畜業の家に生まれた。明治36年3月琴平工芸学校を卒業して、9月上京、東京美術学校彫刻選科に入学した。同窓に朝倉文夫がいた。明治40年3月同校を卒業。間もなく開かれた東京勧業博覧会に出品、銅牌を受賞、早くも彫刻界へデビューした。明治42年第3回文展に「馬」が初入選し、以来文展・帝展と、終始官展に拠って連年動物彫塑を発表、常に題材を自己の愛好する動物にしぼり、愛情をもって地道にその姿体を追求して特色を示し、官展の重鎮として、“馬の勇八”の異名を天下にとどろかせた。詳しい経歴や作品については、次に揚げる年譜で知られるが、殊に戦後の晩年は、公設展への発表を殆んど控え、渋谷東横百貨店の画廊で個展を開催、毎年一般鑑賞者に親しまれた。
略年譜
明治19年 8月28日香川県綾歌郡に生まれる。父池田森杉、母きよの次男
明治33年 香川県琴平工芸学校入学。
明治36年 3月同校卒業。9月上京。9月東京美術学校彫刻選科に入学。入試作「鳩」
明治40年 3月同校彫刻科卒業。卒業製作「笛声」(芸大蔵)東京勧業博に出品「柔術」(銅牌)
明治42年 文展初入選「馬」を出品。その他「仔馬追込み厩舎」
明治43年 東京滝の川田端にアトリエを建てる。文展初入選「ぼんやりした馬」(褒賞)「動物園の犬」を出品。
明治44年 「うさぎ馬」(褒賞)「川まで」を文展出品。明治天皇御料馬「金華山号」(宮内省買上げ)大正天皇御料馬「ダップ号」(宮内省蔵)
大正元年 「山羊」(文展出品、文部省買上げ)「坂路」「平原の夕」等。
大正2年 「心いき」(東宮御所蔵)「神山詣り」(近代美術館蔵)「鬨声」(梨本宮買上げ)を文展に出品。「春陽をあびて」
大正3年 「まぐさ」(褒賞)「餌」「熊の名残」を文展出品。東京大正博に「山羊の群れ」(銅牌)「乳」「手入れ」を出品。その他「長白山と仔豚」「桜木」等。
大正4年 「坂路」(その2)「みづかい」(褒賞)を文展出品。太平洋画会展に「堆積の横」出品(宮内省買上げ)。その他「草」「馬の群像」(宮内省蔵)「土手の草」「歩ゆむ豚」「母仔」「羊」等(子安農園蔵)
大正5年 「川辺にて」(文展特選)「雄姿」「俄か雨」「たぬき」「牛頭」等。
大正6年 「目かくし」(特選)「となかい」を文展出品。「仕事に出掛る」「日向ほっこ」等。
大正7年 「麓そだち」(文展特選)「微風」(文展出品)「農馬」「水飲の場」等。
大正8年 朝鮮、支那へ仏像研究のために行く。第1回帝展に無鑑査出品となる。「昔日の夢」「放牧地」「羊の群」(その1.その2)
大正9年 帝展審査員となり、「春日」「高原の夕」を出品。その他「秋田犬」「二匹の仔犬」「うす日」等。朝鮮、支那へ再度視察研究に行く。
大正10年 帝展審査員。「馬上の新山氏」「収穫」(生命保険協会蔵)を帝展に出品。第1回個展を生命保険協会で開催。「夕日を浴びて」「路傍の会話」等。以後昭和15、16年までに個展を20回開催。
大正11年 北村西望北村正信、国方林三、建畠大夢関野聖雲長谷川栄作氏らと昿原社を作る。帝展審査員。「小憩」(宮内省蔵」「頸環」を帝展出品。個展出品作「午後の陽」「優勝馬」等。
大正12年 支那へ美術視察研究に行く。関東大震災のため帝展なし。「はがいまき」「斜陽」「秋深かし」「放牧地へ行く道」等個展に出品。
大正13年 昿原社解散。帝展無鑑査出品。以後1934年(昭和9年)まで同じ。帝展出品作「嶺」「揚柳下」個展出品作「種牛」「雛」等。
大正14年 「スタート所見」(帝展出品)個展出品作「駝鳥の雄雌」「曇り日」「虎」「吼える獅子」等。
大正15年 今上陛下御料馬「吹雪」(宮内省蔵)「放牧地所見」(御大典時に献上)「若草」「静か」「仔牛」「門飾り」等を個展に出品。
昭和2年 「イレネー号銅像」(十勝農場に建設)
昭和3年 「雲」(帝展出品)「放牧地の所見」(個展出品)
昭和4年 「轡心地」(帝展出品)「トールヌソール号」(個展出品)
昭和5年 「名馬オーバーヤン」(日展出品)「ピアゴールドとトールヌソール初仔」「水辺」「噴水」等(個展出品)。
昭和6年 「残月」(帝展出品)「神翁銅像」
昭和7年 「開墾地の人」(帝展出品)「山下太郎氏像」ロスアンゼルス国際オリンピック芸術部審査員に任命される。「打球」を出品。
昭和8年 「真崎将軍胸像」(帝展出品)この年の前後に「北白川宮成久王」御像および三笠宮、東久邇宮稔彦王、竹田宮恒徳王、朝香宮殿下の各御乗馬像製作。
昭和9年 「渚の若武者」(帝展出品)「犬50題彫塑展」を三越本店で開催。「名犬ロー」「母性愛」「深き眠り」「和犬」「グレーハウンド」「羊を追う犬」「ボーズ」等。
昭和10年 松田文相帝展改組により、畑正吉石川確治日名子実三吉田久継、開発芳光、上田直氏らと共に第三部会を組織し、第一回三部会を開催。出品作「古式打球」等。以後15年まで同会の審査員をつとむ。
昭和11年 ベルリン国際オリンピック審査員を任命される。「スタート地点へ」を出品。「ダービーのゴール」「優勝馬」等三部会出品。
昭和12年 「尾花なびく」「T氏乗馬像」(三部会出品)
昭和12年 「繋駕競争」「新田長次郎氏妻像」等を三部会へ出品。
昭和14年 「李王殿下御乗馬像」「愛馬行進曲六曲対立木彫」三部会出品。
昭和15年 「軍用動物供養塔」「閑」「新田長次郎氏銅像」三部会出品。
昭和16年 三部会を退く。
昭和19年 戦時特別展出品「大地を征く」
昭和20年 北区にて戦災にあい、神奈川県藤沢市の家に移る。この間に原型や作品その他参考資料の殆んどを破損あるいは焼失する。
昭和21年 日展復帰、無鑑査出品「スタートの前の種々相」
昭和22年 彫刻材料不足のためこのころ主として線彫りまたはうす肉による木彫の製作多し。「羊の群れ」「鶏」「牧場」等。
昭和25年 日展依嘱出品「皐月晴れのある日」以後1957年(昭和32年)まで同じ。
昭和26年 「母仔」(日展)その他「山下汽船会長胸像」「トキノミノル号」等。
昭和27年 「勝馬」(日展)「母子情溢」(現代美術展)等。
昭和28年 「スタート」(日展)(芸術院蔵)等。「牧場の晨」(伊勢神宮遷宮奉賛綜合美術展出品)(伊勢神宮蔵)等。戦後第1回個展「馬とともに50年記念展」を日本橋三越で開く。「乳」「戯れ」「群れ」「馬場所見」等20数点を出品。以後1961年(昭和36年)まで毎年個展を日本橋三越、渋谷東横で開催。
昭和29年 「生存の様相」(日展)「暁」(都市美彫塑展出品)個展出品作の主なものは「哺乳」「土龍を嗅ぐ」「飛越後」「尾花を蹴って」「若草をけって」等。
昭和30年 住居を東京練馬区に移す。高松市美術展審査員を依頼され郷里へ赴く。出品作「草原の所見」(高松美術館蔵)「羽音」(日展)個展出品作「春風を嗅ぐ」「炎陽たつ頃」「駿馬」「仔牛」「眠る仔犬」「天馬」「母に寄り添う」等。
昭和31年 「犬」(日展)「大木赴夫氏の像」。個展出品作「放牧地の母仔」「勝馬」「牡牛」「雄たけび」「蝶を追う」等。
昭和32年 「放牧地の母仔」の馬像建設(馬事公苑蔵)「神翁銅像」建設(大楽毛市場蔵)「釧路の馬」(日展)個展出品作「空」「コリー」「嬉しさのあまり」「哺乳後」「ボルゾィ」「エヤデル」「ドイツポインター」「和犬」「愛犬太郎」「主を見送る」
昭和33年 「春風旗★共合唱」の馬像建設(日高牧場蔵)この年より専ら個展に専念。個展出品作「日は暮れかかる阿寒の山路」「駒」「障碍」「銜味」
昭和34年 「放牧地への楽しき道」の馬像建設(東京競馬場蔵)個展出品作「のきば」「二頭の若駒」「スワン」「ライオン」「松崎伊三郎氏像」「仔犬のたわむれ」等。
昭和35年 個展出品作「三頭の駒」「はなれ馬」「嘶き」「楽しき足どり」「はみかえし」「咆哮」「挽馬」「虫」等。
昭和36年 個展出品作「和合」「虎親子」「猿の母仔」「遽か構え」「孔雀水盤」「あひる水盤」「母の懐」「松崎薫氏像」「羊の親仔」等。
昭和37年 「塩野八五郎氏像」2月より健康すぐれず、静養。秋にやや回復し、木彫「牧場のスケッチ」などを数点製作したが、11月末軽い脳溢血のため再び床に伏す。
昭和38年 1月末健康やや回復し、「卯年の始作兎」「兎の紙切り」(献上)を作る。その後もっぱら回顧展の準備に専念。十勝農場の依頼「イレネー号」製作予定中であった。3月31日突然狭心症のため死去。
11月19日-24日、日本橋三越にて故人が生前から希望企画していた「動物彫刻60年回顧展」(毎日新聞社後援)を開催。

出 典:『日本美術年鑑』昭和39年版(128-130頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「池田勇八」が含まれます。
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