佐々木象堂

没年月日:1961/01/26
分野:, (鋳金)

 蝋型鋳造の無形文化財保持者佐々木象堂は、1月26日新潟県佐渡郡の児玉病院で急性肺炎のため死去した。78歳。彼は本名を文蔵と云い、1882(明治15)年3月14日に新潟県佐渡郡に生れたが、戸籍面は2年後の同月同日生になっている。1897年に、河原田小学校を卒業し、17歳ごろ画家を志して上京したが極度の近視眼のため帰郷し、1901年より佐渡郡沢根町宮田藍堂(初代)に蝋型鋳金を学び、1907年5月より河原田町で鋳金家として自立した。1913(大正2)年上京し農商務省(図案及応用作品)展(第一回)に出品入選し、また東京鋳金会展、日本美術協会展などに出品し、宮内省より数度買上げられた。1915・6年から象堂を号としている。1922年平和博覧会出品の「鋳銅菊花丸紋花瓶」は金牌を受賞した。1927(昭和2年)新たに工芸部が設けられた第八回帝展に出品した「鋳銀孔雀香炉」に特選を得て宮内省買上げとなる。1929年11月帝国美術院推薦となり、同年第10回帝展出品「金銅鳳凰置物」も特選となる。以後1931、1932、1934年に帝展審査員を務め、1935年には帝国美術院参与に推薦となる。1936、1937、1939年に文展審査員を務め、1940年には日本工芸美術展に展覧会委員依属となる。1938年には新潟市に越路焼窯新潟陶苑を興し、1945年まで郷土の陶器製作と弟子の養成にたずさわった。1944年戦禍を避けて佐渡に疎開し、戦後1947年真野町に真野山焼窯を創設し、再び陶芸と子弟を養成する。1945年より日展に依属出品を続け1953年より第5回日本伝統工芸展に蝋型鋳銅置物「釆花」を出品し文化財保護委員長賞受賞、同じく6回展には「蝋型鋳銅置物・瑞鳥」に日本工芸会総裁賞を受賞し、共に文化財保護委員会の買上げとなった。1960年4月重要無形文化財蝋型鋳造技術保持者と認定され、名実共に鋳金界の最長老の一人として活動していた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和37年版(122頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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