清水九兵衞

没年月日:2006/07/21
分野:, (彫)

 金属素材の抽象彫刻で知られ、清水焼の七代目として作陶でも活躍した清水九兵衞は7月21日午後1時21分、腎がんのため京都市内の病院で死去した。享年84。1922(大正11)年5月15日、愛知県大久手町(現、名古屋市)に塚本竹十郎の三男として生まれ、広(ひろし)と命名される。東田小学校を卒業し、1935(昭和10)年、愛知県立第一中学校に入学。40年名古屋高等工業学校建築科に入学し、42年9月に同科を切り上げ卒業して同年10月に臨徴兵として名古屋で入隊。43年習志野騎兵学校に派遣され、44年に加古川の戦車連隊に転属となり、同年暮れ沖縄に渡る。46年に復員して上京。工芸講習所の研修生となるが、漆工芸が中心であったため興味を失い、彫刻家を志して49年東京芸術大学工芸科鋳金部に入学する。同学在学中、江戸時代から続く京都の清水焼六代目清水六兵衞の長女と結婚し、養嗣子となる。53年、東京芸術大学鋳金部を卒業して作陶に携わり、清水洋の名で陶芸作品を発表。56年、彫刻家加藤顕清のアトリエに内弟子として入る。58年東京芸術大学専攻科に入学し、彫刻家千野茂に師事する。63年京都市立美術大学工芸科助教授となり陶磁器作成の指導にあたる。66年8月、五東衞の名で三浦景生との二人展を東京の養清堂画廊で開催し、抽象彫刻を発表。67年に彫刻に専念することを決意する。68年東京の南画廊で個展を開催、この時から九兵衞と名乗る。同年京都市立芸術大学教授となる。69年4月に渡欧しローマを拠点として各地を巡遊。イタリアの彫刻が建築や生活空間になじみ、親和していることに強い興味を抱く。また、イタリアの古い町の屋根の連なりに愛着を覚え、帰国後、京都の黒瓦の屋根の連なりに直線構造でありながら曲線を感じさせるものを認め、制作の指針を得る。71年3月、京都市立芸術大学を退職。同年12月東京の南画廊で個展を開催し、アルミを素材とする抽象彫刻5点を含む制作を展示。73年第1回彫刻の森美術館大賞展に71年制作の「作品A」を出品。74年7月、南画廊の個展で、それまでの立体造形への関心を明確化し、その後も長くテーマとなる「affinity」(親和)を作品名とする抽象彫刻を発表する。このころ盛んになる野外彫刻展に積極的に参加し、74年9月第4回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に、展示場所の地面の隆起に沿ってゆるやかに隆起する帯状のアルミによる作品「AFFINITY―D」を出品して神戸市教育委員会賞受賞。75年、第2回彫刻の森美術館大賞展に「affinity A」を出品。同年の第6回現代日本彫刻展(宇部市野外彫刻美術館)に「AFFINITY―K」を出品し、毎日新聞社賞・東京国立近代美術館賞を受賞。また、同年第6回中原悌二郎賞優秀賞を受賞する。76年第17回毎日芸術賞受賞。同年、第5回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に「AFFINITY―L」を出品して神戸市公園協会賞受賞。77年第9回日本芸術大賞。また同年、第3回彫刻の森美術館大賞展に「AFFINITYの継続」を出品して大賞、第7回現代日本彫刻展(宇部市野外彫刻美術館)に「樹と四つの立方体」を出品して群馬県立近代美術館賞受賞。78年、第6回長野市野外彫刻賞を受賞し、同年の第6回神戸須磨離宮公園現代彫刻展にカーブするアルミ板を組み合わせ、石の台座に固定した作品「BELT」を出品して神奈川県立近代美術館賞を受賞。79年第1回ヘンリー・ムーア大賞展に「BELT―Ⅱ」を出品して優秀賞を受賞。同年第8回現代日本彫刻展に「WIG―A」を出品して、宇部興産株式会社賞受賞。80年第7回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に「緋甲PROTECTOR―Ⅰ」を出品して大賞受賞。82年、東京のフジテレビギャラリーで個展を開催、また京都府立芸術会館でも「清水九兵衞展」を開催する。84年、大正海上火災東京本社ビルに、ひょうたん型の池のくびれの部分から立ち上がるパイプ状のオブジェと、同じくくびれの部分から垂直に立ち上がった後、水面に向かって傾斜し、水面すれすれで再度隆起するオブジェを組み合わせたアルミによる作品「朱龍」を設置し、翌年この作品によって吉田五十八賞(建築関連美術の部)を受賞。同年、和歌山県立近代美術館で開催された「彫刻の4人―清水九兵衞山口牧生・森口宏一・福岡道雄展」に出品。86年および87年、ロスアンジェルス・アートフェアー(ICAF/LA)で個展を開催。87年9月、フジテレビギャラリーで個展を開催。1991(平成3)年4月、京都造形芸術大学彫刻科教授となり、95年に同客員教授、2002年に同特任教授となった。97年からは金沢美術工芸大学教授もつとめた。この間、91年芦屋市立美術博物館で「空間と彫刻―清水九兵衞展」、92年三重県立美術館で「清水九兵衞展」、95年国立国際美術館で「清水九兵衞―アフィニティー/親和の神話」展が開催された。98年、中原悌二郎賞を受賞。陶芸から彫刻への興味の移行が土の質感と素材としての個性の強さになじまなかったことにあると清水は回想しているが、ここにあらわれる質感への繊細な感性と、空間や環境に親和する立体造形への希求は、清水の制作に一貫して認められる。近代彫刻が、素材や表面の質感よりも量塊性やムーヴマンなどを要件とし、周囲の空間に対して強い力と緊張感をもたらすのに対し、コンクリートやガラスを多用した無機的高層建築の立ち並ぶ現代の都市空間において、素材、質感、かたちを含めて、周囲と調和し、親和する立体造形性という新たな試みを行った。

出 典:『日本美術年鑑』平成19年版(373-374頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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