三尾公三

没年月日:2000/06/29
分野:, (洋)
読み:みおこうぞう

 洋画家三尾公三は6月29日午前7時40分大腸がんのため京都府伏見区の国立京都病院で死去した。享年76。1923(大正12)年12月3日愛知県名古屋市中区板橋町1-29に生まれる。1942(昭和17)年南山中学校を経て京都市立絵画専門学校日本画予科(現 京都市立芸術大学美術学部)に入学。山口華楊宇田荻邨中村大三郎池田遥邨上村松篁らに学ぶ。47年同校を卒業し油彩画に転ず。51年鬼頭鍋三郎を知り、光風会、日展に出品する。52年第38回光風展に「珈琲店」を出品して京都新聞社賞受賞。53年第39回光風展に「埴輪」「牛骨と土器」を出品して光風賞を受賞し翌年同会会友、59年同会会員となる。64年に退会し、新たな表現を求めてセメントを素材とする制作を試みる。同年セメントを素材とする個展を京都府ギャラリーおよび画廊紅(京都)で開催。また、同年第6回現代日本美術展コンクール部門に画面を横長の大きな色面で大胆に構成した油彩画「象Ⅰ」で入選する。66年焼き付け写真やフィルムのような画面の質感に興味を抱き、エアーブラシによる着色技法を習得するため京都工業試験所夜間部に約1年通う。これによって、木製パネルなどの滑らか表面にアクリル絵具を吹き付け、絵画でありながら写真のような質感を持つ作品を制作するようになる。67年、画廊紅(京都)で開催した個展により評論家木村重信の評価を得、第11回安井賞候補新人展に推薦される。68年第3回ジャパンアートフェスティバルに「虚構の華」を出品して文部大臣賞を受賞する。69年第9回現代日本美術展に「FICTION SPACE—B」を出品。第10回サンパウロ・ビエンナーレ(コミッショナー・小倉忠夫)に「WALL OF FICTION」など4点を出品する。75年第3回インドトリエンナーレ(コミッショナー・富山秀男)に「ON THE BEACH」ほかを出品してゴールドメダルを受賞する。79年第2回東郷青児美術館大賞受賞。81年創刊の写真週刊誌「FOCUS」(新潮社刊)の表紙絵を第1号から手がけ、女性の顔や身体の画像を傾斜させた上、遠近法に基づいて描きいれた幻想的作品で知られるようになる。この頃から大規模な個展が開催されるようになり、84年「幻想空間を描く—三尾公三展」を東京新宿の小田急百貨店、大阪梅田の大丸百貨店で開催。1989(平成1)年には東京日本橋高島屋で「夢幻の風景を描く-三尾公三展」、90年には京都市美術館で「京都の美術 昨日・きょう・明日-三尾公三・坪井明日香展」、93年には国立国際美術館で「女のいる幻想空間-三尾公三展」が開催された。こうした画業により、91年第32回毎日芸術賞、97年第47回芸術選奨文部大臣賞、98年京都府文化賞特別功労賞を受賞する。没後の2001年「美のフォーカス 三尾公三展」が京都市美術館で開催された。画集に『三尾公三画集』(講談社 81年)、『裸婦・三尾公三』(学研 84年)などがある。また、71年より母校の京都市立芸術大学助教授となり、75年同教授となった。83年に同校教授を退いた後も、死去するまで同校客員教授をつとめた。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(235頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「三尾公三」『日本美術年鑑』平成13年版(235頁)
例)「三尾公三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28186.html(閲覧日 2024-04-19)

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