木村重信

没年月日:2017/01/30
分野:, (学)
読み:きむらしげのぶ

 美術史家の木村重信は1月30日、肺炎のため大阪府吹田市内の病院で死去した。享年91。
 1925(大正14)年8月10日、京都府綴喜郡青谷村(現、城陽市)にて、享保年間から続く宇治茶問屋(屋号山城園)に、6人兄弟の次男として生まれる。小学校時代には肋膜炎を患い、通算で3年間通っただけであったという。卒業後は商業学校へ進学し、その後祖父が名古屋で茶問屋を開業していたことから名古屋高等商業学校(現、名古屋大学経済学部)へ進学。2年生の折に学徒動員で繰り上げ卒業となり、1944(昭和19)年徴兵。豊橋陸軍予備士官学校に特別甲種幹部候補生伍長として入学する。45年6月に同校を卒業すると広島師団に配属されるが、本籍が京都であったことから京都師団へ転属、さらに旗手要員として志摩半島の442聯隊本部へと移った。終戦後の46年には京都大学文学部へ入学。文芸を学び、卒業論文では「文芸における表現の問題」をテーマに取り上げた。49年に同大を卒業後は大学院に通いつつ、大阪成蹊女子短期大学などに非常勤講師として勤務。53年京都市立美術大学(現、京都市立芸術大学)の講師となり、現代美術の講義を担当した。ほぼ同じ頃、自身のテーマとして「美術の始原」を意識し始める。56年より翌年にかけてフランス・パリ大学付属の民族学研究所に留学。アンドレ・ルロワ=グーランに教えを受け、洞窟壁画の実地研究などに従事した。また、近・現代美術への見識を深め、同地で交友を深めた堂本尚郎今井俊満らをとおしてアンフォルメル運動に触れ、帰国後には前衛芸術運動についての評論を盛んに行うとともに、パンリアル美術協会やケラ美術協会、具体美術協会などの作家らと交流し、美術史家としての立場から前衛芸術運動に深くかかわる活動を行った。その後京都市立美術大学助教授を経て、69年10月京都市立芸術大学美術学部教授となる。この間、65年には南アフリカのカラハリ砂漠へ調査に行き、翌66年には『カラハリ砂漠 アフリカ最古の種族ブッシュマン探検記』(講談社)で第20回毎日出版文化賞を受賞。また67年11月から翌68年4月まで、山下孝介率いる大サハラ学術探検隊に参加。サハラ砂漠の先史岩壁画やマリ共和国のドゴン族の美術、エチオピアにおけるキリスト教美術や先史遺物などの調査を行った。74年大阪大学文学部教授となり、翌75年「美術の始原」で同大文学博士を取得。先史美術に関する木村の研究の集大成とされた同論文は、フランスへの留学以来、世界各地で行ったフィールドワークによる成果をとおして、人類の美的活動の根元を問おうとしたもので、美学と美術史学両方の視点からの考察を行った点が評価された。またこの頃、木村は芸術とはそれ自身で完結するものではなく、外的要因によって規定されるものであるとし、80年代後半以降の研究動向を先取りする発言を残している。76年国立民族学博物館併任教授に就任。同館では「民族芸術学の基礎的研究」(1980~82年)、「民族芸術学的世界の構築」(1982~84年)などの課題で共同研究を主宰した。84年4月には既存の研究領域や専門の枠を超え、芸術現象を広く議論できる場として民族藝術学会を創設、初代会長となる(のち名誉会長)。1989(平成元)年大阪大学を定年退官、同大名誉教授となった。また同年には当時の大阪府知事岸昌の要請により大阪府顧問となり、国際現代造形コンクール・大阪トリエンナーレや関西系現代作家展の開催、それら事業による美術作品の収集など行政的手腕を発揮する。91年には民族芸術学という新しい学問分野の開拓や、欧米や日本の近代美術に一種の社会芸術学的方法により新たな光をあてた業績が評価され、大阪文化賞を受賞。92年には国立国際美術館館長に就任。98年同館長を退任し、同年4月兵庫県立近代美術館(現、兵庫県立美術館)の館長に就任、2002年に同館が兵庫県立美術館に新築移転すると初代館長となった。木村は持ち前の美術史学的教養と行政的手腕を発揮し、同館中興の祖とも称された。館長時代には神戸市内で毎年、若手作家との懇親会を開くなど、後進の育成にも尽力し、01年兵庫県文化賞を受賞している。また、98年には勲三等旭日中綬章を受章、翌99年には評論の分野での功績を評価され、京都市文化功労者に選ばれた。同年12月には『木村重信著作集 第1巻 美術の始源』(思文閣出版)が刊行され、04年7月までに全8巻を刊行。06年4月には兵庫県立美術館長を退き名誉館長となる。同年にはまた、京都にて設立された染・清流館の初代館長に就任。日本の現代染色アートを世界へ発信することに尽力した。晩年にはあらゆる役職を辞任した木村であったが、同館の館長だけは最期まで続け、ギャラリー・トークなどにも積極的に参加していたという。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(429-430頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「木村重信」『日本美術年鑑』平成30年版(429-430頁)
例)「木村重信 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824151.html(閲覧日 2024-04-24)

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