中村直人

没年月日:1981/04/22
分野:, (洋)

 二科会会員の洋画家中村直人は、4月22日敗血症のため東京港区の東京船員保険病院で死去した。享年75。本名直人。1905(明治38)年5月19日、長野県小県郡に生まれ、神川尋常小学校時代に山本鼎の農民美術研究所(同小学校内)で美術に触れ、山本の紹介で1920(大正9)年日本美術院同人吉田白嶺の内弟子となり木彫を学ぶ。24年第13回日本美術院展に木彫「清韻」が初入選、以後同展へ彫刻作品を出品し、29(昭和4)年第16回院展に「少女立像」を出品、日本美術院院友となり、翌年の第17回展では「道化役者」で日本美術院賞を受賞、36年第23回院展に「鈿女命」を出品し美術院同人に推挙された。37年北支戦線に従軍、翌年春銀座松屋で「北支従軍スケッチ展」を開催、39年聖戦美術展に「工兵」を出品し受賞、42年海軍報道班として従軍、同年岩田豊雄の朝日新聞連載小説『海軍』の挿絵を担当した。戦後の1952年12月にパリへ留学、13年間の滞在中に油絵を学び個展も開催して注目を集め、64年に帰国、同年銀座松屋で絵画作品による「中村直人滞仏絵画展」(10月30日-11月4日)を開催27点を出品した。70年、二科会絵画部会員として迎へられ、「裸婦」「おびえた子供」「巴里の女」を初出品、72年第52回展には「憩」「荒天」を出品し会員努力賞を受け、80年第65回展出品作「会合」で総理大臣賞を受賞した。彫刻から絵画へ転向した異色作家で、多彩でエキゾチックな女性像を得意とした。二科展への出品は他に「呼びこみ」(51回)、「裸婦横臥」(53回)、「裸婦」(56回、青児賞)、「朝」(59回)、「ピエロの一家」(61回)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(273頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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