本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。 (記事総数 3,120 件)





松川烝二

没年月日:1972/03/01

女子美術大学教授松川烝二は3月1日十二指腸潰瘍のため都内世田谷区の自宅で死去した。享年60才。1911年(明治44)6月30日現在の都内中央区に生れ、1936年東京美術学校工芸部図案科を卒業。4月から森永製菓株式会社に、9月から森永食品工業株式会社に移り、38年8月に製品企画課長代理となったが、9月から44年11月まで兵役についた。兵役解除後は商工省工芸指導所嘱託となり、1947年3月同所第二設計室長となる。1948年4月から11月まで文部省初等中等教育局デザイン教育計画を担当。それと並行して48年4月より50年3月まで森永乳業の、49年4月より63年3月まで森永製菓株式会社の嘱託、47年8月より57年2月まで花王石鹸株式会社の製品企画を担当。54年4月から女子美術大学芸術学部ヴィジョン・コース担当。60年から65年まで日本パッケージ・デザイン協会理事。その間、森永TVタイム、デザイン、国際見本市タイヤ・パネル・デザイン、デラックスおよびワンカップ大関デザインを製作。62年2月には前年度パッケージ・デザインにより通産大臣賞受賞。

杉浦非水

没年月日:1965/08/18

光風会会員、多摩美術大学名誉教授の日本画家・図案家杉浦朝武(号・非水)は、8月19日午後7時30分、老衰のため藤沢市の自宅で死去した。享年89才。明治9年(1876)愛媛県松山市に生れ、松山中学在学中に絵画の手ほどきをうけ、明治30年上京して川端玉章に師事した。34年東京美術学校日本画科卒業。黒田清輝に私淑し、34年欧州旅行から帰国した黒田のもたらしたアール・ヌーヴォー様式に感動して図案研究を志す。大阪三和印刷所、東京三越、都新聞社などの意匠図案を担当し、劇場の緞帳図案、雑誌表紙、ポスターなどを作成する。45年には光風会の創立に参加、また図案研究団体を創立し、デザイン運動をおこすなど多彩な活躍をなした。美術教育にもたずさわる。工芸図案界の先覚者として長年の功績に対して昭和29年度日本芸術院恩賜賞をうけた。主要作品三越-みつこしタイムズ表紙、長岡座緞帳図案、緞帳図案孔雀の図(旧帝劇)、三越新築のためのゼセッション風の美人ポスター、蝶のダンスポスター(三越)、新宿三越落成ポスター、京城三越落成ポスター、銀座三越落成ポスター七人社出品作品-窓、デプレダシォン、人魚のポスター、裸婦の図、七面鳥、浅間四題光風会出品作品-図案風猫の絵(宮内庁)、群鶏屏風、ペリカン屏風、浅間高原、夕の清洲橋、七面鳥、あすは雨か(浅間山残雪風景)、鵜其の他-長良川鵜飼と納涼ポスター、地下鉄ポスター(五種)、勧業債券ポスター(五種)、明治・大正名作展覧会ポスター、産業組合ポスター(五種)、陸軍展ポスター専売局-響、パロマ、桃山、光、扶桑、日光のタバコ図案著書(大正3年以降)非水図案集 非水の図案 しぼりの図案 非水花鳥図案集 非水一般応用図案集 非水創作図案集 非水百花譜(全20輯) 実用図案資料大成(全8巻・渡辺素舟共著)略年譜明治9年(1876) 5月15日愛媛県松山市に生れる。明治29年 松山中学校卒業、在学中に四条派の画家松浦巌暉に師事。明治30年 5月上京、川端玉章に師事、天真画塾に入り黒田清輝に洋画を学ぶ。9月東京美術学校日本画撰科に入学。明治33年 東京外国語学校仏語別科に入学。明治34年 東京美術学校卒業。明治34年 東京外国語学校修了。5月帰国した黒田清輝のもたらしたアール・ヌーヴォー様式に感激し図案研究を志す。明治35年 黒田清輝の推薦により大阪三和印刷所図案部主任に就職。11月大阪商船株式会社嘱託。明治36年 三和印刷所解散のため退職。大阪開催の第5回内国勧業博に出品。明治37年 4月島根県第二中学校教諭として浜田に赴任。明治38年 11月島根県第二中学校教諭辞職、上京。明治39年 11月都新聞社に入社。意匠図案を担当。明治41年 東京三越の招聘により図案部嘱託として入社、中央新聞を兼任(43年まで)明治43年 三越図案部主任となる。明治45年 3月日比谷図書館主催にて自作の書籍装幀・雑誌表紙図案展覧会を開催。6月中沢弘光、山本森之助ら6名と光風会を創立する。大正2年 国民美術協会創立、絵画部・装幀美術部・学芸部会員となる。大正10年 日本美術学校図案科講師となる。カルピス株式会社美術顧問となる。大正11年 11月図案及び絵画研究のため欧州に遊学、パリを根拠地としてドイツ、イタリア、オランダ各国を巡遊する。大正13年 帰国・図案研究の団体七人社を創立・主宰する。大正15年 七人社創作図案第1回展を三越において開催、その後毎年開催、10回に及ぶ。雑誌「アフィッシュ」を発行しデザイン運動をおこす。昭和4年 帝国美術学校創立され工芸図案科長に就任する。昭和9年 三越嘱託を辞職する。昭和10年 帝国美術学校を退職。多摩帝国美術学校を創立、校長兼図案科主任教授となる。昭和13年 専売局図案嘱託となる。昭和19年 太平洋戦争のため軽井沢に疎開する。昭和24年 疎開地帰京。昭和25年 多摩美術短期大学理事長図案科主任教授となる。東京都広告物審議会委員に任命される。昭和26年 文部省社会教育局通信教育審議会委員を嘱託される。昭和28年 多摩美術大学理事長兼図案科主任教授となる。昭和30年 芸術院恩賜賞(29年度)を授賞。昭和33年 紫緩褒章をうける。昭和35年 夫人翠子死去。昭和40年 勲四等旭日小緩賞を叙勲。昭和40年 5月米寿記念杉浦非水日本画展を日本橋三越で開催する。8月18日死去。

橋本徹郎

没年月日:1959/02/25

第二紀会々員、日本宣伝美術会々員橋本徹郎は、2月25日逝去した。明治33年1月1日、兵庫県加古川郡に生れた。関西美術院で洋画を学び、昭和の初めから二科会に入選し、17年第29回二科展に会友となつた。しかしその後出品なく、戦後、二科会を離れ、第二紀会の創立に参加して同会の会員となつた。同時に作品は、従来の写実風景から抽象的な構成へと推移していつたが、第二紀会での出品は少なかつた。又一方、デザイナー、アートデイレクターとして活動も盛んであつた。 油絵作品略年譜大正15年 第13回二科展「花」「三光町風景」昭和2年 第14回二科展「花もつ女」「植物園の午後」昭和3年 第15回二科展「6月のペーヴメント」「手袋」昭和4年 第16回二科展「或る工夫」昭和5年 第17回二科展「PRIVATE ROOM」昭和7年 第19回二科展「あるグループ」「黄色いドレス」昭和9年 第21回二科展「静かなる丘」「イヴニングドレスの女」昭和10年 第22回二科展「樹氷」昭和11年 第23回二科展「海を配せる静物」「挨拶」昭和12年 第24回二科展「仮縫」「銀座の窓」昭和14年 第26回二科展「アカシヤの花咲く家」「まんさあど」昭和15年 第27回二科展「お祭り」(A)(B)昭和17年 第29回二科展「好日子」。二科会会友となる。昭和23年 第2回二紀会展「朝」昭和24年 第3回二紀会展「作品」(A)(B)(C)昭和25年 第4回二紀会展「みづたまり」「都会と月」昭和26年 第5回二紀会展「題のない絵」(A)(B)昭和30年 第9回二紀会展「アフターイメージ」「色面分割の中の円」

斎藤佳三

没年月日:1955/11/17

図案装飾家斎藤佳三は、11月17日胃癌のため東京都世田谷区の自宅で逝去した。享年69歳。本名佳蔵。明治20年秋田県に生れ、大正5年東京美術学校図案科を卒業した。のち同校講師を勤め、また斎藤装飾美術研究所を創立した。主として美術工芸、服装方面で活躍したが、作曲をも試みた。著者に「世界の服飾史」「新しき民謡」などがある。

多田北烏

没年月日:1948/01/01

商業美術家として著名な多田北烏は胃潰瘍のため1月1日沼津市の自宅で逝去した。享年60。本名は嘉寿計、明治22年松本に生れ、蔵前高工図案科選科、川端画学校に学び、凸版印刷図案部、市田オフセツト印刷意匠部長、東京図案研究所長等を歴任した。大正11年実用美術研究所サン・スタデイオを創設し商業美術の向上と後進の指導に努力した。又新興日本童画協会常務委員、全日本産業美術連盟常任委員をつとめ、実用版画美術協会を主宰した。著書に誠文堂発行「多田北烏図案集」その他がある。

濱田増治

没年月日:1938/11/27

商業美術家濱田増治は十一月二十七日脳溢血の為逝去した享年四十七歳。 明治二十五年十月十五日大阪に生る。大正三年東京美術学校に彫刻を学び、在学中より雑誌に挿絵漫画を執筆。同五年頃同士と赤鳥社を組織して絵画を発表し、又太平洋画会に抽象表現主義の作品を出品した。同八年コドモ雑誌の編集主任となり、又会社に入り、広告図案、装飾設計等に従った。同十年、一時、図案事務所を経営したが、後新聞社に入り漫画挿絵を担任、又美術批評を執筆しその傍ら雑誌「広告と陳列」(後に広告界)の編集に関与した。同十五年商業美術家協会を有志と共に創立し、その創作展を逐年東京府美術館に開催した。昭和三年現代商業美術全集の編集委員長となり、二ヵ年を費して二十四巻を完成、同四年銀座に商業美術研究所を創立した。その後、新聞社其他の商業美術関係諸事業に関係し、七年に戸塚町に商業美術構成塾を創立、塾生の指導に従って居た。著述は商業美術総論(アルス発行)、商業美術教本上下二巻(富山房発行)、商業美術教科書上下二巻(富山房発行)、商業美術大意及び読本(高陽書院発行)、商業美術講義(富山房発行)、商業美術構成原理(高陽書院発行)、商業美術教本二巻(富山房発行)、商業美術講座五巻(アトリエ社発行)等がある。

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