笠木實

没年月日:2018/08/27
分野:, (洋)
読み:かさぎみのる

 春陽会会員の洋画家笠木實は、8月27日に没した。享年98。
 1920(大正9)年1月1日、群馬県桐生市に、市内でも有名だった魚問屋「魚萬」を経営し、さらに冷凍工場やバスやタクシー会社を経営していた笠木萬吉の次男として生まれる。はやくから美術に関心を寄せるようになり、桐生中学校在学中の1935(昭和10)年の夏休みに東京にあった西田武雄が主宰するエッチング研究所に通い、銅版画プレス機を購入した。同年12月、西田の紹介で同舟舎研究所に入所して田辺至の指導を受けた。37年、東京美術学校油絵科入学。同期には清宮質文、また一学年下には駒井哲郎がいて交友。同学校在学中から、日本版画協会、国画会展にエッチングを出品。41年12月、同学校を繰り上げ卒業。翌年6月には、桐生倶楽部(桐生市)にて個展を開催。同年7月には第3回日本エッチング作家協会展に出品。43年には、日本版画協会の会員となる。44年、45年とつづけて応召するが、同県下高崎の部隊に配属後に終戦となり除隊。戦後は、前橋市出身の南城一夫に師事し、油彩画に専念することをすすめられ、48年から南城と同じ春陽会に出品するようになった。また、49年には桐生美術協会結成にあたり副会長となり、同年開催の群馬美術展で知事賞を受賞。50年に上京して、岡鹿之助宅に寄寓。51年には春陽会賞を受賞、55年に同会会員となる。64年に武蔵野美術大学の共通絵画研究室に赴任して、以後1990(平成2)年に定年になるまで指導にあたった。68年に東京都小平市にアトリエを設けて転居、以後武蔵野の自然をモチーフに柔和な作品を描きつづけた。
 2001年4月、渋谷区立松濤美術館にて「今純三・和次郎とエッチング作家協会」展が開催され、草創期の同協会の画家として青年期のエッチング6点が出品された。また12年12月には、和歌山県立近代美術館に寄贈した作品をもとに、コレクション展として「笠木實と日本エッチング研究所の作家たち」が開催された。17年6月には、桐生歴史文化資料館(桐生市)にて回顧展「笠木實の足跡と魚萬笠木萬吉」展が開催された。また、はやくから雑誌の挿絵、絵本のための絵を描き、若いころからスキー、釣り、山歩きを趣味としていたところから、画文集『魚狗の歌』(二見書房、1974年。96年に平凡社ライブラリーから『画文集 イワナの歌』として再刊)、『岩魚の谷、山女魚の渓』(白日社、1994年)等を残した。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(521頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「笠木實」『日本美術年鑑』令和元年版(521頁)
例)「笠木實 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995801.html(閲覧日 2024-04-27)

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