島州一

没年月日:2018/07/24
分野:, (美)
読み:しまくにいち

 版画家、画家の島州一は7月24日、急性骨髄症白血病のため長野県東御市で死去した。享年82。
 1935(昭和10)年8月26日東京都麹町区(現、千代田区麹町)に生まれる。祖父欽一は銀座に国内初とされる図案社の島丹誠堂を開設している。
 59年多摩美術大学絵画科卒業。在学中は絵画より石版に傾倒。58年「集団・版」結成に参加(1964年まで)。64年初個展(養清堂画廊)。67年版画展(日本版画協会、1971年まで)。『LIFE』誌の写真や政治家を重層化した作品を展開。72年、ニクソンと周恩来の顔を椅子と布団に刷り込んだ「会談」が第7回ジャパン・アート・フェスティバルで大賞受賞。73年「次元と状況」展(1978年まで、新宿・紀伊國屋画廊)に参加。同年、作家たちが個々自宅で発表する「点」展に参加(1977年まで)。同年第12回サンパウロ・ビエンナーレに「200個のキャベツ」出品。74年第9回東京国際版画ビエンナーレ出品の「シーツとふとん」で長岡現代美術館賞受賞。75年、関根伸夫と全国約30か所で「列島縦断展」。同年個展(神奈川県民ホールギャラリー)。島の作品は情報化時代のイコンを自然(野菜や石)、日常品(布団やカーテン)に刷り、版画の概念を拡張していった。78年、200点近い作品を網羅した『KUNIIICHI SHIMA 1970―1977』(現代創美社)を刊行。80年度文化庁芸術家在外研修員としてパリ、ニューヨークに滞在。82年第4回シドニー・ビエンナーレ出品。85年第1回和歌山版画ビエンナーレで優秀賞受賞。87年、自分の表現行為を「モドキレーション」と名付ける。その技法は「身をもって現実を仕切り、測定し、分析、総合する」、触覚に即したフロッタージュを基底とし、テーマとしては初期から一貫している現代の情報化社会における人間の抑圧を問うことだった。1996(平成8)年の個展(玉川髙島屋)から、「造形言語が誕生する瞬間を描く」をテーマとし、主論考として「言語の誕生」(『武蔵野美術大学研究紀要』、2004年35号)を発表。2003年から15年、浅間山を油彩で描いた「Landscape」シリーズを展開。11年個展「原寸の美学」(市立小諸高原美術館)。17年からの闘病の日々を日記風に描いた「とんだ災難カフカの日々」が公式ウェブサイトで閲覧できる。 

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(517頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「島州一」『日本美術年鑑』令和元年版(517頁)
例)「島州一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995766.html(閲覧日 2024-04-25)

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