倉田公裕
元北海道立近代美術館長の倉田公裕は2月26日、偽膜性腸炎のため死去した。享年94。
1924(大正13)年1月10日、三重県に生まれる。関西大学文学部を卒業後、1959(昭和34)年よりサントリー美術館の設立準備に学芸員として当たり、63年からは山種美術館の設立準備に従事。山種美術館の学芸部長を務めた後、73年より北海道立近代美術館の設立準備室長となり、地域性と国際性を重視した本格的な美術館作りに尽力、また展示に複製や映像を積極的に導入するなど新たな美術館像を示した。同館副館長を経て78年から86年まで北海道立近代美術館館長(非常勤)を務め、また78年に明治大学文学部教授となり、1995(平成7)年に定年退任するまで教鞭をとる。一方でサントリー美術館勤務時代より縁のあった日本画家鏑木清方の遺族から、土地・建物・作品の鎌倉市への寄贈の相談を受けて記念美術館の設立に協力、98年に鎌倉市鏑木清方記念美術館として開館すると、その専門委員を2004年まで務めた。
その業績は近代日本画に関するものが多く、『日本の名画15 竹内栖鳳』(講談社、1973年)、『近代の美術14 小林古径』(至文堂、1973年)、『森田曠平画集』(駸々堂出版、1993年)といった画集の編集に携わる。一方でサントリー美術館、山種美術館、北海道立近代美術館の設立に関わった経験から博物館学についての著述も多数あり、著書としては『博物館学』(東京堂出版、1979年)、『博物館の風景』(六興出版、1988年)、また新聞に発表したコラム等をまとめた『曲臍庵随記』(私家版、1986年)、その続編として編集され、博物館学関係の著作目録も収載した『続曲臍庵随記』(明治大学博物館学研究会、1994年)がある。鎌倉市鏑木清方記念美術館が清方の基礎資料集として継続的に刊行する『鏑木清方記念美術館叢書』についても、晩年に至るまでその監修を務めている。
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「倉田公裕」『日本美術年鑑』令和元年版(499-500頁)
例)「倉田公裕 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995641.html(閲覧日 2024-11-01)
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