地主悌助
特異な画風でしられた洋画家の地主悌助(号、白道)は、11月26日午後0時33分、老衰のため神奈川県中郡の自宅で死去した。享年86歳。地主悌助は、明治22(1889)7月12日、山形県鶴岡市に生まれ、明治38年(1905)山形県立荘内中学校を中途退学し、大正元年(1912)上京し、翌2年坂本繁二郎を訪問、師事した。大正3年、(1914)、文部省中等校図画教員検定試験に合格し、大正4年秋田県師範学校教諭となった。大正13年(1924)山口県女子師範学校教諭に転任し、さらに翌14年郷里の山形県立鶴岡中学校教諭に転任し、昭和27年(1952)の退職まで図画教師として勤務した。昭和29年(1954)住居を神奈川県に移して制作に専念、昭和31年(1956)日本橋丸善で最初の個展を開催し、小林秀雄に認められた。以後、毎年、東京画廊、現代画廊、丸善、壺中居、日本橋高島屋、いとう画廊、日本橋白木屋、日動画廊、フジアート・ギャラリー、資生堂画廊で個展を開催、昭和45年(1970)には大阪の梅田画廊阪急三番街店でも開催した。昭和46年(1971)、新潮社の第3回日本芸術大賞を日本画の石本正とともにうけた。同年には秋田市立美術館をはじめ、梅田画廊、せきかわ画廊などで個展、47年(1972)には梅田画廊、銀座美術館で個展、48年梅田画廊、せきかわ画廊で個展を開催した。終始、無所属として個展のみで活躍し、作品の題材も石、瓦、紙、野菜など身辺の限られたものだけを描きつづけて注目された。
出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(334頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「地主悌助」『日本美術年鑑』昭和51年版(334頁)
例)「地主悌助 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9711.html(閲覧日 2024-12-05)
例)「地主悌助」『日本美術年鑑』昭和51年版(334頁)
例)「地主悌助 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9711.html(閲覧日 2024-12-05)
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