伊藤久三郎

没年月日:1977/04/08
分野:, (洋)

 洋画家、行動美術協会会員伊藤久三郎は、4月8日脳しゅようのため京都市北区の富田病院で死去した。享年71。明治39(1906)年3月24日京都市下京区に生まれる。大正7年京都市立美術工芸学校に入り、同9年卒業後絵画科本科に入学、同12年卒業。翌13年京都市立絵画専門学校本科(日本画)に入学、昭和3年卒業後間もなく東京駒込に移り、1930年協会洋画研究所に通った。同4年第16回二科展に「ハムのある静物」が初入選、以後同展に出品するとともに、同8年には、佐野繁次郎、佐伯米子島崎鶏二らと新油絵展を結成し、同11年には新美術家協会に入会、同13年二科会前衛グループによる九室会に参加、同16年二科会会員となった。同20年京都へ戻り、この年行動美術協会結成にあたって会員に迎えられ、翌年の第1回展から同展に出品した。また、同28年「抽象と幻想」展(東京国立近代美術館)に「イカルス」を出品、同30年第3回日本国際美術展に「忘却」、翌31年第2回現代日本美術展に「地表」、同32年代4回日本国際美術展に「作品57」、同年第4回サンパウロ・ビエンナーレに「地表」「猜疑」「イカルス」、同40年「前衛絵画の先駆者たち」展(京都国立近代美術館)に「流れの部分」「合歓の木」「振子」を、同46年「伊藤久三郎小牧源太郎二人展」に旧作20点を出品した。この間、同28年日吉丘高校講師、七彩工芸嘱託となり、同37年成安女子短期大学講師(40年教授、47年退官後客員教授)となって指導にあたり、同45年府立文化芸術会館、京都府ギャラリー運営委員となり、同46年には京都市美術館評議員となった。同51年京都における抽象絵画の草分けとして、京都府美術工芸功労者に選ばれた。行動展への主な出品作に「遮蔽」(8回)、「猜疑」(9回)、「ラプソディー66」(21回)、「作品70A」(25回)、「773-B(劃)」(28回)、「75a(地)」(30回)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和53年版(260頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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