柏原覚太郎
洋画家、行動美術協会会員柏原覚太郎は、6月2日胆道がんのため東京都世田谷区の自宅で死去した。享年76。明治34(1901)年11月10日香川県高松市に生まれ、大正12年東京美術学校図画師範科を卒業。昭和2年第14回二科展に「少女」「裸女」が初入選し、以後戦前は二科展に出品を続けた。同7年から翌年にかけてヨーロッパに留学し、同8年帰国の年の第20回二科展に「横臥裸婦」「少憩」「黒衣婦人」など滞欧作7点が特別陳列された。同12年二科会会友となり、同16年第27回展に「アンコール」「手風琴」を出品して会友賞を受賞、翌年会員に推挙された。戦後は同20年に創立された行動美術協会に参加し会員となり、以後没年まで同会展に出品した。行動展への出品に「アトリエ」(第2回)、「水辺」(第6回)、「岩の群(室戸岬)」(第12回)、「トレド風景」(第20回)、「岬の漁港」(第25回)、「滞船」(第31回)などがある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和53年版(265頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「柏原覚太郎」『日本美術年鑑』昭和53年版(265頁)
例)「柏原覚太郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9693.html(閲覧日 2024-12-06)
例)「柏原覚太郎」『日本美術年鑑』昭和53年版(265頁)
例)「柏原覚太郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9693.html(閲覧日 2024-12-06)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1938年05月 上海戦線記念絵画製作
- 1945年11月 行動美術協会結成
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