寺島紫明

没年月日:1975/01/13
分野:, (日)

日本画家寺島紫明は、1月13日脳出血のため西宮市の自宅で死去した。享年78歳。本名徳重。明治25年11月18日明石市に生れた。木綿問屋、柿屋を営む父徳松、母としの長男で、6歳と2歳年上の姉の三人姉弟であった。明治32年明石尋常高等小学校に入り、この頃からスケッチを好み、源氏物語など日本文学に親しむ。小学校卒業後はさらに文学への傾倒を深め、寺島玉簾のペンネームで「少年倶楽部」「兄弟姉妹」等の雑誌に応募し、入賞を重ねた。明治42年17歳の時、長姉の嫁ぎ先である大坂の木綿問屋丹波屋、三浦家に見習奉公に入る。この年10月父を失い、翌43年上京した。大正元年8月母にも死別し、この頃から文学を離れ画家を志し、翌大正2年鏑木清方に師事した。翌年「柚子湯」「菖蒲湯」(対幅)が入選し、三等賞となった。昭和2年第8回帝展に「夕なぎ」が初入選し、その後官展への出品を毎年続けた。戦後も、第2回展以来日展出品をつづけ、没する数年前の昭和46年までの出品がみられる。官展以外では、巽画会のほか青衿会、日月社、創造美術(第1回展)、兵庫県選抜展などがある。またそのほか街の展観としては、初期の郷土会をはじめ、昭和になってからは九皐会、清流会、尚美会、綵尚会、明美会等に出品している。美人を対象に描いたいわゆる美人画は、江戸浮世絵以来近代に至って多様な発展を示すに至っている。浮世絵の系統をひく鏑木清方は、江戸から東京を舞台に東京人の好みに投じた粋人柄な女性を描いて独自な美人画を展開した。玄人の粋に堕さず、素人の野暮に偏さないこの洗練された一つの女性像は、東京人における女性の典型であった。
 関西に生れた寺島紫明は、上京し鏑木清方に師事した。紫明は、師の描く品よく爽やかな東京女性の理想像に深く共鳴しながらも、彼は全く別の独自の美人画を確立した。紫明の対象とする女性は、概して豊満な女性が多く、画面には官能を含めての女性美が重量感をもって示される。但し、その作品は卑俗な美人画には遠く、肉体を超え、官能を超えた女性讃歌といえよう。ほのぼのと匂やかな色彩と、制作にあたってモデルを用いないというデッサンのよわさが紫明画の特徴ともいえる。主な作品に、戦前の傑作「秋単色」が出色だが、戦後では、「甲南夫人」「舞妓」「夕ぐれ」などがある。
寺島紫明作品年譜
大正2年 21 長野草風の紹介で鎬木清方に師事す。
(1913)
大正3年 22 巽画会「柚子湯」「菖蒲湯」(対幅)、3等賞。
大正4年 23 6月郷土会発足。
大正5年 24 第1回郷土会展「夕立」「夕月」。
大正6年 25 郷土会「港の唄」。
大正7年 26 長田幹彦の小説「青春の夢」(東京日々新聞連載)さし絵を描く。
昭和2年 35 第8回帝展「夕なぎ」初入選。
昭和3年 36 第9回帝展「日輪」、パリー日本美術展「姥桜」。
昭和5年 38 第11回帝展「爪」。
昭和7年 40 第13回帝展「母娘」。
昭和8年 41 第14回帝展「うつらうつら」。
昭和9年 42 第15回帝展「女」。
昭和10年 43 第1回九皐会「くつろぎ」「洗髪」。
昭和11年 44 改組帝展第1回「あつさ」(対幅)。新文展「9月」(京都市買上げ)。第2回九皐会「素顔」「朝霧」「2月」。尚美展「昇る月」。
昭和12年 45 第1回文展「朝」。第3回九皐会「元朝」(三幅対)。尚美展「晴れた朝」。
昭和13年 46 第2回文展「微匂」。第4回九皐会「紅」「おしろい」「花の雨」「鷺娘」。
昭和14年 47 第5回九皐会「昼の雪」「老妓」。
昭和15年 48 奉祝展「良夜」。清流会結成第1回展「月夜時雨」「朝の空」。第6回九皐会「軒の雨」「紋服」。青衿会第1回「朝風」。
昭和16年 49 第4回文展「寸涼」(特選)、綵尚会第3回「夏芸者」、清流会第2回「洗いかみ」「冬靄」「卯辰橋」、仏印巡回日本絵画展「夏」、綵尚会小品展「廊のうちは」。
昭和17年 50 第5回文展「秋単衣」(特選)、無鑑査出品(李王家買上げ)、綵尚会第4回「暮春」「初夏」、青衿会第3回「町娘」、清流会第3回「夕星」、関尚美堂展「盛夏」。
昭和18年 51 第6回文展「初冬」(招待出品)、綵尚会第5回「中年」「もみ裏」、絅尚会第2回「静心」「祭の月」。
昭和19年 52 川西航空、仁川工場に軍令で奉職。
昭和20年 53 8月終戦で9月に川西航空を退職。
昭和21年 54 第2回日展「彼岸」。
昭和22年 55 第3回日展「中年の夫人」(招待出品)。現代総合美術展(朝日新聞社主催)「婦女」。
昭和23年 56 第1回創造美術展「芸人」、綵絅会「三十路」、神戸新聞創刊50周年記念、東西大家新作日本画展「女」。
昭和24年 57 第5回日展「若婦」(依嘱出品)、現代美術展「女」、兵庫県公募総合美術展の審査員となり29年までその任に当る。
昭和25年 58 第6回日展「春秋夕朧」(対幅)(依嘱出品)、兵庫県展「暮春」(賛助出品)。
昭和26年 59 第7回日展「上女中」審査員。
昭和27年 60 第8回日展「初振袖」(依嘱出品)。
昭和28年 61 第9回日展「甲南夫人」、日月社第4回「朝」、銀座松坂屋で(第1回個展)。明治、大正、昭和名作美術展「春来たる」。
昭和29年 62 第10回日展「夕ぐれ」<寺島紫明個展>(近鉄アベノ)、10月<清方、深水、紫明風俗個展>(日本橋三越)。
昭和30年 63 第11回日展「成女」、日月社第6回「少女」、綵尚会「花子」。
昭和31年 64 第12回日展「新涼」、日月社第7回「若い夫人」。
昭和32年 65 第13回日展「黒い髪」、審査員、日月社第8回「婦女」、綵尚会第8回「朝」、尚美展「冬の夫人」。
昭和33年 66 新日展第1回「婦女」、綵尚会「舞妓」、紫明門下で明美会結所。明美会第1回「春」「婦女」「朝」(賛助出品(神戸元町、ちぐさや画廊)。
昭和34年 67 新日展第2回「仲居」、審査員。綵尚会「若い婦人」「夕」、明美会第2回「梅の頃」(賛助出品)。
昭和35年 68 新日展第3回「三人」(政府買上げ)、綵尚会「丸髷」、日月社第11回「朝」、明美会第3回「五月」「少女」(賛助出品)、明美会4人展「黒い羽織」(特別出品)(大坂そごう)。
昭和36年 69 新日展第4回「舞妓」文部大臣賞、白木屋<女性美の画家寺島紫明>展28点、関尚美堂共催。明美会第4回「夏」(賛助出品)。
昭和37年 70 新日展第5回「二人の婦人」審査員、明美会第5回「おんな」賛助。
昭和38年 71 新日展第6回「昼」、明美会第6回「初夏」(賛助出品)。兵庫県選抜美術展「女将」。<寺島紫明舞妓展>15点出品(浜松産業会館)。
昭和39年 72 新日展第7回「舞妓」、明美会第7回「少女」(賛助出品)、近代日本美人画名作展「彼岸」(姫路やまとやしき 日本経済新聞社主催)。
昭和40年 73 新日展第8回「夏」、孔雀画廊<寺島紫明作品展>、明美会第8回「初冬」(賛助出品)。
昭和41年 74 新日展第9回「宵」、日春展第1回「老妓」日春展委員。
昭和42年 75 新日展第10回「ひととき」兵庫県政100年郷土画家名作展「夕ぐれ」「3人」「夏」(神戸大丸)。
昭和43年 76 新日展第11回「朝風」、兵庫県日本画青楠会第1回「秋」、日春展第3回「学生」。
昭和44年 77 改組第1回日展「舞妓」、審査員。彩壺堂現代作家シリーズ第11回<寺島紫明作品展>22点出品、青楠会第2回「娘」、日春展第4回「暮春」。
昭和46年 78 改組第2回日展「早朝」、改組第1回日展出品作「舞妓」に対し日本芸術院恩賜賞受賞、高島屋白寿会第22回「冬の日」。
昭和46年 79 改組第3回日展「遅い朝」、梅田画廊三番街<寺島紫明新作展>、4月29日勲等旭日小綬章受賞、神戸新聞社兵庫県平和賞(文化部門)受賞。高島屋、白寿会第23回「初冬」、第6回日春展「春日」、明美会「秋」、(賛助出品)<寺島紫明展>(静岡産業会館)、5月22日大坂新歌舞伎座で観劇中倒れる。
昭和47年 80 兵庫県立近代美術館美人画名作展(10月)「夏」「新涼」「舞妓」「女」「三人」、高島屋白寿会第24回「舞妓」、明美会「素描」(賛助出品)。
昭和48年 81 東京ギャラリーヤエス<寺島紫明展>「芸人」「早朝」「舞妓」等、夏目美術店、八重洲美術店、関尚美堂共催。<山平義正地中海展>「舞妓」(賛助出品)、(そごう神戸店)。兵庫県現代芸術名作展、昭和10年作「くつろぎ」出品、神戸大丸店。明美会「舞妓」賛助出品。高島屋白寿会第25回「舞妓」。
昭和49年 82 ぎゃらりー神戸<寺島紫明素描展>画稿「彼岸」「鷺娘」「舞妓」他出品。<小倉遊亀寺島紫明中村貞以自選、3人展>そごう神戸店「夕月」「彼岸」「中年夫人」「上女中」「成女」他出品、9月に一時危篤状態に落ち入る。
昭和50年 82 1月12日午前6時30分脳出血のため西宮市自宅で死去、
昭和51年 <美人画の名匠寺島紫明遺作展>なんば高島屋。10月、<寺島紫明回顧展>西宮市大谷記念美術館。
(寺島紫明回顧展目録より抄録)

出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(288-290頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「寺島紫明」『日本美術年鑑』昭和51年版(288-290頁)
例)「寺島紫明 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9630.html(閲覧日 2024-11-01)

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