川上拙以
日本画家川上拙以は、12月3日心筋こうそくのため京都の専売公社病院で死去した。享年75。本名昌薫。明治34(1901)年5月1日愛媛県新居郡に生れ、京都市立絵画専門学校を卒業した。西山翠嶂に師事し、第4回帝展に「淨瑠璃寺」(二曲屏風一隻)が初入選した。ついで第5回「平和」、第6回「浅春余情」、第8回「馬郎婦」、第11回「孟母」(二幅対)、第12回「青葡萄」、第13回「池畔」などがある。昭11年文展招待展には「清風聽声」を出品し、京都市展、大阪市展などにもそれぞれ委員、無鑑査等により出品している。戦後は、第6回日展(1950)に「浦上の廃堂」(出品依嘱)、第9回「姉妹」(出品依嘱)、第12回「斎座」(出品依嘱)などがあり、昭和33年改組後も第1回展(1958)「緑衣の女」(出品依嘱者)、第3回「赤い作業場」などの作品がある。以上のほか所属画塾の塾展青甲社展にも出品し、戦前は風景花鳥を得意としたが、戦後は人物画を多く描いた。
出 典:『日本美術年鑑』昭和52年版(291頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「川上拙以」『日本美術年鑑』昭和52年版(291頁)
例)「川上拙以 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9615.html(閲覧日 2024-12-02)
例)「川上拙以」『日本美術年鑑』昭和52年版(291頁)
例)「川上拙以 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9615.html(閲覧日 2024-12-02)
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