太田正弘
日本画家太田正弘は、5月21日胃ガンのため、浦和市の自宅で死去した。享年63。大正3年8月21日福島県原町市に生れ、昭和15年(1940)東京美術学校日本画科を卒業した。同20年(1945)まで兵役に服し、22年山本丘人の門に入った。翌年結成された創造美術展に出品の「睡蓮」が初入選し、翌第2回「森」、第3回「森」などの出品がある。その後も創造美術への出品をつづけ、連続入選している。この間創造美術は洋画団体新制作派協会と合流し、またついで創画会として再発足するなどの変遷を経るが、終始ここを拠点に制作活動をつづけ、昭和36年(1961)新制作協会々員に推挙され、49年には創画会々員になった。この間における受賞は、新作家賞1回、春季展賞9回に及び、晩年は個展(銀座文春画廊、1960、京橋孔雀画廊・1964)も開催した。作品は風景を主題としたものが多く、代表作に「北壁」(1963)「遠い薗」(1977)などがある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(314頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「太田正弘」『日本美術年鑑』昭和54年版(314頁)
例)「太田正弘 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9599.html(閲覧日 2024-10-16)
例)「太田正弘」『日本美術年鑑』昭和54年版(314頁)
例)「太田正弘 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9599.html(閲覧日 2024-10-16)