甲斐莊楠音

没年月日:1978/06/16
分野:, (日)

 日本画家甲斐莊楠音は、6月16日京都市内の知人宅で倒れ、病院に収容中心不全のため死去した。享年84。明治27年12月13日京都に甲斐莊正秀、カツの9人兄妹の5男として生れた。甲斐莊家は、河内国金剛山麓甲斐莊村の豪族で、楠正成の一族という。京都市立銅駝小学校から京都府立一中に入学したが、病弱なため京都市立美術工芸学校に転校し、明治45年3月同校を卒業した。続いて同市立絵画専門学校に進学し、大正4年に同校を卒業、研究科に2年在籍した。またかたわら川北霞峰の塾にも学んだ。大正7年第1回国画創作協会展に「横櫛」が入選し、以後国画創作協会を発表の場とした。第2回出品の「青衣の女」は落選し、第4回帝展に入選するという事態もあったが、国画創作協会解散後は美術界の活動は順調に進まず映画界に入った。時代考証、道具立てなどの仕事にながく携わり、絵画制作とは遠ざかっていたが、昭和38年京都市美術館において国画創作協会回顧展開催に際し、旧作3点が展示された。以後再びその作品が注目されるようになり、昭和50年3月には東京三越において「甲斐莊楠音回顧展」が開催された。作品は自ら美人画専門としていて、対象とする女性像は大正期の風潮を多分に反映した、世紀末的色彩濃いものであった。美人画作品としては、いわゆる綺麗ごとに終始する作風の多い中で、美人画の範疇をこえるものでもあった。そしてその強い個性的作風には、理解ある支持者も少くなかった。国画創作展ほか主要作品はつぎの通り。「舞ふ」「半裸の女」(1924、国創第4回)「南の女」「歌奴」「裸婦」(1926、同第5回展)「雪女(未成)」「娘子」「母」「逃亡」(1927、第6回展)「椿姫」(1928、第7回展)。「横櫛」(1922、第4回帝展)「花子桜子」(第1回京都市展)。なお、甲斐庄の庄は映画の仕事に携って以後用いている。

出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(315頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2017年12月22日 (更新履歴)
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