笹村草家人

没年月日:1975/09/26
分野:, (彫)

彫刻家、碌山美術館理事、元東京芸術大学美術学部助教授の笹村草家人は、9月26日午前9時頃脳血栓のため山梨県北都留郡の自宅で急逝した。享年67歳。明治41年2月11日東京市芝区に笹村銕熊の長男として生まれた。本名良紀。昭和10年から草家人と号した。昭和7年3月東京美術学校彫刻科本科塑造部を卒業。この年第7回国画会展に「塑像試作」が入選、翌年第8回国展では「若き芸術家の像(試作)」が再入選、さらに第9回国展では「恩師猪狩先生像」で国画奨学賞を受けた。翌昭和10年第10回国展にも「高謙堂先生古稀像」を出品したがこの年から石井鶴三を尊敬して師事、翌昭和11年の第23回院展には「作男の首」を出品して入選した。以来院展に継続して出品、昭和18年第30回院展で「坐女」を出品、日本美術院院友に推された。昭和19年3月教育召集で赤坂の第一聯隊へ入隊していたが、母校東京美術学校の大改組に当り、新しく就任した石井鶴三教授に招かれ、新学期より助教授に着任した。以後、私淑する石井教授のもとで後進を自他共にきびしく導くとともに、石井教授が就任の際、真の近代日本彫刻の流れは荻原碌山、高村光太郎に発し、いまその流れがここに入ったと挨拶した精神を肝に銘じ、戦後まもなくから「碌山の人と芸術」の研究と顕彰運動に手をそめた。昭和28年になると長野県南安曇教育会に碌山研究委員会を設置するのに協力し、その指導者となって、研究・顕彰・作品保存の事業を推進させた。研究の成果は『彫刻家荻原碌山』(東京芸術大学石井教授研究室編、昭和29年12月・信濃教育会刊)となり、顕彰については県下各地で碌山展や講演会を開き、作品保存については、石膏原型のブロンズ化、素描類の裏うちなど、ひいては美術館建設へと発展させた。昭和33年4月22日荻原の郷土、穂髙町に碌山美術館開館をみるまでの5年間、稀にみる実行力をもって情熱をもえたたせ、あらゆる困難を克服しての初志貫徹ぶりは、末だに彼を知る多くの人々の語り草となっている。以下に簡略な作家暦を附載するが、その詳細は、彼が生前に私家版として上梓を重ねた『笹村草家人作品集』(昭和33年初版―昭和48年第三版増補)を参照されたい。
略年譜
明治41年(1908) 東京市芝区に生れる。
昭和2年 東京美術学校彫刻科入学。
昭和7年 同校卒業。「父の首」。
昭和9年 第9回国画会展に「猪狩史山先生像」を出品、国画奨励賞を受く。
昭和10年 石井鶴三に師事。
昭和11年 「作男の首」(院展出品)。日本中学校に奉職。
昭和12年 「津田非仏老人」(翌年院展出品)。結婚。
昭和15年 「岡三保子刀自」。翌昭和16年、日本中学を辞任。
昭和18年 「母子像試作」。前年制作の「坐女」(院展出品)。日本美術院・院友。
昭和19年 応召、解除。東京美術学校助教授に任官。山梨県棡原村に永住。
昭和21年 「山口民蔵氏」(翌年院展出品)。
昭和23年 「母子像試作(その二)」(翌年院展出品)。
昭和24年 「鈴木迪三氏」(翌年院展出品、日本美術院賞)。
昭和25年 「裸者の首」(翌年院展出品)。
昭和27年 「激怒せる天使」(「福音」と題して院展出品、日本美術院賞)。法隆寺再建のため建築彫刻作成に従事。
昭和28年 「芙莉の首(ヂュニア)」(院展出品)。碌山研究委員会の指導。
昭和29年 『彫刻家荻原碌山』の編纂。日本美術院を脱退。
昭和31年 「人体立像」。『坂本繁二郎文集』の編纂。
昭和32年 碌山美術館の建設を推進。
昭和33年 財団法人碌山美術館落成、同理事。秋、個人展。作品集を上梓。
昭和34年 「遠山元一像」、「川口さんの顔」、「田中徳松氏像」。
昭和35年 「蛇ぬけの碑(長野県・木曾)」、「灯をかかげる女」、「松本源三郎翁記念碑」、「津田左右吉先生米寿像」。
昭和36年 「河童池(長野県松本)」、「沖縄の老女」「沖縄舞踊家の首」。琉球大学より招聘。東京芸術大学助教授を退官。第2回個人展。作品集改訂。
昭和38年 「光岑農子の首及び小坐像」、「山口延勝翁観魚像」、「最後の渋沢敬三先生」。
昭和39年 「五輪競歩記念碑(府中)」。翌年欧州旅行。
昭和43年 数年来厖大な資料を集めて製作にあたった「明治天皇御肖像」完成。
昭和45年 「騎馬戦の石像(長野県更級)」、「加藤耕山老師像」。
昭和46年 「山神像(木曾)」、同像設計、指揮。翌年「山田玉田老師像」。
昭和48年 「大観禅師像」、「月の人(原敬吾氏像)」。『中原悌二郎彫刻作品集』を編著。作品集改訂(第三版)。蒙古旅行。紀行文『蒙古行』上梓。
昭和50年(1975) 前年の中央アジア旅行についで、インド旅行をなす。後輩の長野英夫、基俊太郎らの勧請により新協美術展に「最後の渋沢敬三先生」「月の人」を出品。同展覧会開催中の9月26日、急逝する。

出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(319-320頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「笹村草家人」『日本美術年鑑』昭和51年版(319-320頁)
例)「笹村草家人 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9571.html(閲覧日 2024-04-26)

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