池部鈞

没年月日:1969/12/17
分野:, (洋)

洋画家、一水会運営委員池部鈞は、12月17日午後10時25分、心不全のため療養中の東京都八王子市・永生病院で死去した。享年83歳。19日多摩霊園で密葬、告別式が22日台東区の妙情寺で行なわれた。明治19年東京本所に生まれる。旧姓山下。下谷小学校高等科一年頃、同級生に石井鶴三があり、12才の時(明治31年頃)神田の錦城中学に入学、明治32~3年の頃、白馬会展で展観作品の迫真的な表現に感動し、同35年中学3年の頃、石井柏亭の門をたたいたが断られ、渡部審也を紹介される。明治43年東京美術学校西洋画科を卒業、同窓に藤田嗣治岡本一平田中良近藤浩一路長谷川昇らがいた。同44年朝鮮京城日報社に入社、大正3年国民新聞に入社して政治、社会、議会、相撲などの漫画を描く、先輩に平福百穂がいて議会スケッチで活躍中であった。大正5年には、漫画誌「トバエ」が創刊され参加し、続いて翌6年には「漫画」の創刊にも参加する。その後も「漫画の畑」(大正11年)、「漫画ボーイ」(大正14年、山田みのる、前川千帆らと共に)などの各創刊号に参加執筆してすっかり漫画界での一人者となり活躍したが、本来の油絵では、大正10年帝展に「大道芸人」を出品、昭和3年9回帝展「少女球戯図」や同5年11月帝展「踊」が特選に挙げられ無鑑査となった。以後引続き官展に出品、昭和13年一水会に会員として参加、市井の人物や生活を対象に観察眼鋭く、端的に要約把握された作風で知られ、のち一水会委員、日展評議員をつとめ、昭和41年芸術院恩賜賞を受賞、翌42年には勲四等旭日小綬章をうけた。
主な展覧会出品目録。
(帝展)
第3回 大正10年 大道芸人
第4回 大正11年 夜角力
第5回 大正13年 先生と生徒
第6回 大正14年 仮装
第7回 昭和元年 名古屋万歳
第9回 昭和3年 少女球戯図
第10回 昭和4年 線路工夫
第11回 昭和5年 踊
第12回 昭和6年 唄ふ女
第13回 昭和7年 孫
第14回 昭和8年 子供遊戯図
第15回 昭和9年 落花
(文展)
第4回 昭和16年 島の女
第5回 昭和17年 対峙
(紀元二千六百年奉祝美術展)
昭和15年 鰹
(日展)
第1回 昭和21年 村の子
第2回 昭和21年 風神雷神
第4回 昭和23年 闘鶏図
第5回 昭和24年 切株
第6回 昭和25年 温泉客
第7回 昭和26年 姉妹
第8回 昭和27年 祭礼
第9回 昭和28年 湯治客
第10回 昭和29年 祭り天国
第11回 昭和30年 漁港
第12回 昭和31年 熱演
第13回 昭和32年 落花酔態
(新日展)
第1回 昭和33年 盆踊
第2回 昭和34年 浜の長老
第3回 昭和35年 畳
第4回 昭和36年 温泉
第5回 昭和37年 だるま
第6回 昭和38年 勝鬨
第7回 昭和39年 ふぐ提燈
第9回 昭和41年 美人一列
第10回 昭和42年 鶏と犬
(一水会)
第2回 昭和13年 村落の娘 山村の娘 漁夫 母と子
第3回 昭和14年 眠れる子 港 東北の娘 小妓 煙草
第4回 昭和15年 宵祭 鰹
第5回 昭和16年 温泉場 伊豆の海 枯野
第6回 昭和17年 釣魚 湯町
第7回 昭和18年 海 池
第8回 昭和21年 軍鶏を飼う人 甘藷の収穫 村の小学生
第9回 昭和22年 作品(一) 作品(二)
第10回 昭和23年 学校帰り
第11回 昭和24年 花見
第12回 昭和25年 舞扇 はらみ猫 老巡査 軍鶏を飼う人
第13回 昭和26年 村角力見物 縄飛び
第14回 昭和27年 勝負師(闘鶏) 潮風
第15回 昭和28年 北海道の子供 浜の祭礼
第16回 昭和29年 祭礼 漫才泰平
第17回 昭和30年 賑やかな連中
第18回 昭和31年 雨あがり おもちゃ屋の娘
第19回 昭和32年 花 笠
第20回 昭和33年 銀座 浅草公園
第21回 昭和34年 盆踊の一隅 七夕
第22回 昭和35年 車庫 土用浪

出 典:『日本美術年鑑』昭和45年版(68-69頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「池部鈞」『日本美術年鑑』昭和45年版(68-69頁)
例)「池部鈞 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9215.html(閲覧日 2024-11-01)

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