菅野圭介

没年月日:1963/03/04
分野:, (洋)

独立美術協会々員菅野圭介は3月4日東京信濃町の慶応病院で食道ガンのため死去した。享年54才。葬儀は豊島区雑司ヶ谷霊園斎場において、独立美術協会葬としてキリスト教式で行なわれた。彼は明治42(1909)年4月27日東京牛込区に、宮城県石巻市出身の早大文学部英文科教授菅野徳助の末子として生れた。母は岐阜県の医師の娘である。姉ふみ子、兄健介。5才のとき父が没し、土居晩翠の許にしばらく預けられた。牛込愛日小学校、東京府立六中、東京高校(文丙)を経て、京都帝大文学部を中退後、渡欧し、フランスのグルノーブル市で、ジュール・フランドランに師事し(1935~1937)、また児島善三郎にも師事した。1936年より独立展(第6回)に出品し、1938年に協会賞を受賞、1940年会友に推挙され、1941年I氏賞、1942年岡田賞を得て、1943年会員に推挙された。戦前二回(1938、1941)日動画廊で個展開催。戦後は朝日新聞社の秀作美術展や毎日新聞社の国際美術展等にも出品している。先妻との間に男子があったが、1948年に三岸節子と再婚し、1953年に解消した。1949年12月、画号を「圭哉」と改め、1954年以後には「恵介」を用いた。風景や静物を写しながら、それを単純で大まかな形体の平面的な色面として用いるその画風は、デビュー時代よりほぼ一貫するもので、地味な色調とともに一種の東洋的なのびやかな味わいをかもしだしていた。独立展出品作品を列挙すると「フランダース古城」「ノルマンディの秋」(昭和12年)、「北欧祭典」「ワルソーの宿」(13年協会賞)、「静物」「山脈」(14年)、「伊豆風景」「北都」「山脈」(15年会友推挙)、「磯」「飛騨地方」「静物」(16年I氏賞)、「秋」「湖水」「島影」(17年岡田賞)、「夏」「静物」「伊豆風景」(18年会員推挙)、「勝下」「果実」「鹿島灘」「花」「漁村」(22年)、「花」「静物」「静物」「静」「風景」(23年)、「果実」「静物」「夏」(25年)、「リスボン湾」「キール岬」「ハイデルベルク」「静物」「ボン」「ハイデルグ丘陵」「ビルバオ」「白都リオ」「モンブラン」「ブレーメン」(28年)、「蔵王山」「秋」(29年)、「冬」「秋」「夏」(30年)、「阿武隈流域」「黒潮」「静物」(31年)、「丘陵秋」「静物」(32年)、「夏の港」「槍ヶ岳秋」「常念晩秋」(33年)、「晩秋」「秋」「夏」(34年)、「夏」「静物」「雪山」(35年)、「秋」「野菜車」(36年)。(参照文献)菅野圭介「ジュール・フランドラン」独立美術1957、「近況の石」同1958、「亡霊」同1959、「自画像」美術手帖29号1950、今泉篤男菅野圭介」みづえ532号1950。

出 典:『日本美術年鑑』昭和39年版(127頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「菅野圭介」『日本美術年鑑』昭和39年版(127頁)
例)「菅野圭介 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9145.html(閲覧日 2024-04-20)

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