金子九平次
彫刻家、元国画会会員の金子九平次は10月29日午前9時40分川崎市の関東労災病院で穿孔性胃かいようのため死去した。享年73歳。告別式は31日東京都港区、金光教御田教会で行なわれた。明治28年9月9日東京市芝区に生まれ、岡山県金光中学校を卒業、父金子吉蔵、長谷川栄作に彫刻を学び、大正10年第3回帝展に「春愁」入選、翌11年渡欧し、ブールデルに師事、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・チュイレリー、サロン・ナショナル等に出品、大正15年秋帰国し、偶々同年国画創作協会に梅原龍三郎、川島理一郎を迎えて第二部が新設されており、滞仏中知己となった土田麦僊の紹介で、この第二部の彫刻を担当するよう会員に迎えられた。その後国画創作協会は昭和3年7月解散したが第二部は存続して国画会と改称し、金子はそのまま彫刻部の中心的存在となった。昭和7年、第7回国画会展への出品をきりに、同会を退き昭和12年新古典美術協会を創立主宰した。戦後は久しい間中央での活動はみられなかったが、38年11月初旬、日本橋・丸善画廊で「金子九平次彫刻展」を開いて新作を発表、多くの人々はその健在を知った。
出 典:『日本美術年鑑』昭和44年版(68頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「金子九平次」『日本美術年鑑』昭和44年版(68頁)
例)「金子九平次 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9048.html(閲覧日 2024-10-07)
例)「金子九平次」『日本美術年鑑』昭和44年版(68頁)
例)「金子九平次 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9048.html(閲覧日 2024-10-07)
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- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1923(大正12) 大正十二年帝國絵画番付_807086
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