川村吾蔵

没年月日:1950/03/11
分野:, (彫)

戦後マ元帥、アイケルバーカ中将など進駐軍高官の肖像を製作して注目された川村吾蔵は3月11日胃癌のため米海軍横須賀基地EMクラブ内のアトリエで死去した。享年66才。明治17年8月17日長野県に生れ36年県立上田中学卒業、翌37年美術研究学生として渡米し、以来米国を主として仏、英、伊、独にあること約40年、其の間、明治42年仏国に留学した際は巴里及びジヴアニーの知名の彫塑家ド・F・W・マクモニースの助手として、研究に精進し45年エコール・デ・ボザールに入学しては特待生となつた。作品としては恩師マクモニースと共同して製作した紐育市図書館前の噴水像や同じく市庁前の噴水像等紐育市の著名な記念像製作者として名をなし、大正6年以降にはクーリツヂ大統領胸像や故華頂宮博忠王殿下の胸像等知名の士の胸像製作の他、ホルスタインの模範乳牛牡牝一対製作以来牛馬の研究10ヶ年、作品は教育材料として全米の農科大学及び日、英、仏、独、カナダの農科大学に設置され、牛の彫塑の一人者として認められていた。かく欧米彫塑界では著名となつたが昭和15年帰朝故郷に引揚げ戦時中のこととて不遇のうちに終戦を迎えた。21年3月、第1回日展に「ミスター・ブロクター」を出品し、翌22年9月横須賀米海軍基地司令官デツカー少将の厚意により横須賀に移住、アトリエを貸与され、再起製作に励んだ。マツカーサー元帥、ア中将、デツカー少将等々進駐軍首脳のブロンスを次々と製作、最後に尾崎咢堂、ヘレンケラーの塑像製作半ばにして長逝した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和22~26年版(142頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「川村吾蔵」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(142頁)
例)「川村吾蔵 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8804.html(閲覧日 2024-03-19)

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