林倭衛

没年月日:1945/01/26
分野:, (洋)

洋画家林倭衛は急性肺炎の為1月26日逝去した。享年51。明治28年長野県上田に生れ、13歳の時上京、画家になろうと苦学し、大正5年23歳の時油絵の初作「サンヂカリスト」「多摩川附近」を第3回二科展に出し入選、翌6年二科展に出品した小笠原写生3点は樗牛賞を得、翌7年「冬の海」外4点を出し二科賞を受けた。大正9年個展を兜屋画廊に開き、翌10年より5年間フランスに留学した。帰朝の年春陽会々員となり、翌年春陽会展に滞仏作品38点を出陳した。昭和4年再び渡仏、翌年帰朝し春陽会に滞仏作品を出陳した。昭和6年満鮮写生旅行に赴き、9年春陽会を脱会、昭和12年第1回改組文展には審査員となり、17年にも委員をつとめた。その作品は自然を簡明化した清明なもので、画面にあふれた詩情は独特なものがあつた。
略年譜
明治28年 6月1日上田市に生る
明治40年 上京、学歴なく苦学す
大正5年 「サンヂカリスト」「多摩川附近」第3回二科展入選
大正6年 第4回二科展に小笠原島写生旅行の収穫3点を出す、樗牛賞をうく
大正7年 第5回二科展「冬の海」外4点大いに認めらる、二科賞をうく
大正8年 第6回二科展会友となる、出品画「大杉栄肖像」が問題となる
大正9年 春、兜屋画廊に個展をひらく、二科展「室生犀星肖像」外4点を出す
大正10年 七月画会を起し資を募つて外遊す
大正11年 在仏中春陽会客員に推されたるも辞退、巴里、伯林、アルルの各地に滞在、6年に亘る
大正15年 帰朝、春陽会々員となる
昭和2年 春陽会に滞欧作品28点を特陳す、秋、大阪「春海」に滞欧作個展をひらく
昭和3年 1月再渡欧、巴里に滞在し、この間英国にもゆく
昭和4年 帰朝、春陽会に滞欧作7点を出す
昭和6年 春陽会に「静浦風景」外4点を出す、その後満鮮旅行にゆく
昭和9年 春陽会を退く
昭和12年 第1回文展審査員となる
昭和13年 朝鮮写生旅行にゆく
昭和14年 日動画廊に個展をひらく
昭和17年 北京にゆき病を得て帰る
昭和20年 1月26日急性肺炎にて死去

出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(97頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「林倭衛」『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(97頁)
例)「林倭衛 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8679.html(閲覧日 2024-04-27)

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