儀間比呂志

没年月日:2017/04/11
分野:, (版)
読み:ぎまひろし

 生涯にわたり沖縄を描き続けた版画家で絵本作家の儀間比呂志は4月11日、肺炎のため死去した。享年94。
 1923(大正12)年3月5日沖縄県那覇市久米町に生まれる。士族であった厳格な父のもとに育つも、もともと絵を描くのが好きだったこともあり、小学校でのちに戦後沖縄美術を代表する画家となった大嶺政寛と出会ったのをきっかけに、画家にあこがれるようになる。一方戦時下の昭和40(昭和15)年頃の沖縄では、日本政府による皇民化政策のもと、方言や琉歌が禁止され、息のつまるような状況であった。さらに父親からも絵を描くことを禁止され、沖縄を離れることを決意。40年5月に家を出、マリアナ諸島のひとつであるテニアン島に行き着き滞在、渡嘉敷守良が座長を務める球陽座で道具方の仕事をしたり、芝居絵を描いたりして暮らした。この沖縄芝居から得たドラマツルギーが、後の絵本制作の原点となる。球陽座はロタ、パラオ、ポナペなど他の島への巡業も盛んに行っており、儀間はロタ島で鉄木の彫刻をしていた杉浦佐助と出会う。その後、テニアン島で杉浦と再会、42年12月に戦況の悪化から球陽座が閉鎖されたのを機に杉浦の弟子となり、カロリナス高地の崖下に丸太を渡して建てた小屋にて寝食をともにしながらデッサンなどを学んだ。杉浦の作品をモデルにしながら、儀間は形の正確な把握よりも、そのものがもつ気の表現に務めたという。43年儀間は徴兵検査の令状を受け、杉浦の勧めもあり帰国。44年海軍へ入隊し、翌45年横須賀にて終戦を迎えた。沖縄の親兄弟は皆亡くなったと聞かされた儀間は、失意のまま大阪へと移り、阿倍野の芝居小屋に道具方として雇われ、舞台風景を描いた。46年夏、大阪市立美術館に付属美術研究所が新設されると、洋画部に第一期生として入学(1951年まで在籍)。須田国太郎らに教えを受けるかたわら、生活のために心斎橋で似顔絵を描いていたという。そのうちに沖縄の母親と兄弟たちが生きていることを知るも、すぐには帰郷せずに精進を重ねる。またこの頃、メキシコ壁画運動の画家、ダビッド・アルファロ・シケイロスやディエゴ・リベラらの絵画に出会い、その表現に強く惹かれた。54年創造美術展へ出品して初入選を果たし、55年堺市展にて会頭賞受賞。翌56年には第11回行動美術展へ「働く女達」で初入選を果たし、以後71年まで毎年出品した。また、同年には戦後初めて沖縄へ帰郷、5月に沖縄・那覇市松尾の第一相互ビルにて個展を開催する。帰阪後には沖縄の現状を伝えるため、肌の色が異なる姉妹が肩を組む姿を描いた作品をその年の平和美術展へ出品する。58年第13回行動美術展へ出品した「働く女」「山原のアンマー」で奨励賞を受賞し、翌59年には第14回展へ出品した「蛇皮線」「龍舌蘭」「民謡」で新人賞を受賞、会友となる。さらに60年の第15回展では「島の踊り」「島に生きる」で会友賞受賞、66年には会員に推挙された。一方で儀間は、行動美術展へ出品をするようになった頃より、東京・上野桜木町に住んでいた上野誠に木版画を学び、56年には浅尾忠男との詩画集『城と車』を刊行。68年には第6回東京国際版画ビエンナーレ展へ「まつりの人々A」「まつりの人々B」を出品する。69年ギャラリー安土にて木版画展を開催、71年には画廊みやざきで版画展を開催した。「沖縄の普及化」を目指していた儀間にとって、安価でより多くの人々の目に触れる版画はうってつけの表現形態であった。さらに儀間は、大人だけでなく子どもに対しても沖縄をアピールしていく必要を感じ、絵本制作にも着手。70年には『ねむりむし・じらあ』(福音館書店)を刊行する。翌71年には『ふなひき太良』(岩崎書店)で第25回毎日出版文化賞を、76年には『鉄の子カナヒル』(岩崎書店)で第23回産経児童出版文化賞を受賞。この間、72年5月には行動美術を脱退、以後木版画をもっぱらの仕事とした。85年米軍撮影の沖縄戦記録フィルムの上映会で、白旗を掲げ米軍に近づく少女の映像に衝撃を受け、沖縄戦をテーマにした絵本の作成に着手。同年『りゅう子の白い旗』(築地書館)を刊行する。海軍に入り、沖縄にいなかった儀間にとって、絵本作りは故郷が受けた苦難を追体験する作業であったという。2005(平成17)年には宮古島のハンセン病療養所での取材をもとにした『ツルとタケシ』(清風堂書店)を、翌06年には石垣島に実在した住民の防衛隊を主人公とした『みのかさ隊奮闘記』(ルック)を刊行。さらに当時リトル・オキナワと呼ばれた南洋の島・テニアンを舞台にした『テニアンの瞳』(2008年、海風社)を番外編として、4冊の絵本は「沖縄いくさ物語」シリーズとしてまとめられた。
 没後の18年7月には、沖縄県立博物館・美術館にて「儀間比呂志の世界」が開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(439-440頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「儀間比呂志」『日本美術年鑑』平成30年版(439-440頁)
例)「儀間比呂志 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824221.html(閲覧日 2024-04-26)

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