廣瀬賢治

没年月日:2017/01/26
分野:, (その他)
読み:ひろせけんじ

 西陣織・廣信織物の代表取締役で、表具用古代裂(金襴等)製作の選定保存技術保持者の廣瀬賢治は1月26日、膵臓がんのため死去した。享年73。
 1943(昭和18)年8月4日、京都・西陣で代々続く織元の家に生まれ、23歳で家業の世界に入り、同じく選定保存技術保持者であった父の敏雄(故人)のもとで研鑽を積み、半世紀にわたり掛幅や〓風の表装に用いる古代裂の製作に取り組み、数多くの国宝や重要文化財などの修理に貢献した。古来、東洋の書画は掛幅や〓風などの形式に仕立てることが、鑑賞や保存において必要不可欠であり、特に掛幅は裂地の印象が作品鑑賞に大きく影響するため、裂の選択には特別な注意が払われてきた伝統がある。現代においても古美術作品の修理には、その作品の品質や格にふさわしく、より豊かな鑑賞をもたらすために、古い時代の裂(古代裂)を復元することが求められることが多い。古い時代とは様々な材料や道具、織機などが異なる状況において、廣瀬は常に古代裂の文様や組織、糸の状態などを綿密に調査した上で復元的に表装裂を織り上げることに精魂を傾けた。初めて中心的に裂の調製を担当した国宝修理は、85~87年に行った京都国立博物館所蔵の「釈〓金棺出現図」(11世紀)で、同館職員や修理担当者などと協議を重ね、聖護院所蔵の平安時代の錦を参照して復元的に表装裂を製作し、修理に用いた。そのほか「山越阿弥陀図」(永観堂禅林寺)、尾形光琳筆「燕子花図屏風」(根津美術館)など、数多くの重要な作品の修理に、廣瀬による手織りの金襴や錦、緞子が用いられている。図版などでは表装部分をのぞく本紙のみを切り抜いて掲載されることがほとんどであるが、寺院や美術館などで作品が展示される際、観覧者はその作品を裂とともに鑑賞している。古書画を物理的に保護し、その作品のもつ魅力を最大限に引き出しつつ、決して作品よりも目立たないのがよい表装であると言える。廣瀬は実際の作品や古い裂を丹念に観察し、より質の高い裂を作り上げる努力を常に惜しまなかった。こうした功績などにより、2007(平成19)年に表具用古代裂(金襴等)の選定保存技術保持者の認定を受けた。社会環境の変化などで着物産業が著しく衰退し、西陣織の織元や生産量、売上高が減少する厳しい状況下においても、「できないとは言わない。必ず挑戦する。」が廣瀬の信条で、数々の古代裂の復元に取り組み、16年には文化財の保存・修復に大きな功績のあった個人や団体を顕彰する第10回「読売あをによし賞」の本賞を受賞した。また国宝修理装〓師連盟による定期研修会において廣瀬が行った講演「織(羅)について」の内容が、『平成24年度 国宝修理装〓師連盟 第18回定期研修会』報告書に収載されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(428-429頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「廣瀬賢治」『日本美術年鑑』平成30年版(428-429頁)
例)「廣瀬賢治 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824141.html(閲覧日 2024-04-20)

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