山川武
東京芸術大学名誉教授で、美術史研究者の山川武は、6月1日、肺がんのため死去した。享年77。葬儀は近親者のみで行われ、同年7月3日に「山川武先生を偲ぶ会」(東京上野、精養軒)が行われた。1926(大正15)年11月22日、兵庫県神戸市に生まれる。1949(昭和24)年7月、東京芸術大学美術学部芸術学科に入学、53年3月に卒業、4月に同学部専攻科に入学するが翌年病気のために退学。59年1月に東京芸術大学美術学部助手となり、翌年9月から同大学同学部附属奈良研究室に事務主任事務取扱として赴任し、63年6月、同研究室講師となる。67年4月、同研究室勤務を解かれ、同大学美術学部芸術学科講師となる。69年4月、同大学美術学部助教授となる。78年4月、同大学同学部教授となる。1993(平成5)年9月、東京芸術大学芸術資料館において「退官記念山川武教授が選ぶ近世絵画」展を開催。翌年3月、同大学を退官。同年4月、女子美術大学教授に就任、同月、東京芸術大学名誉教授となる。97年7月、東京銀座にて「山川武写真展―行旅余情―」展開催。翌年、女子美術大学を退職。2002年10月、『山川武写真集』(私家版)を刊行する。本項末にあげる著述目録で了解されるように、山川の研究者としての対象は、近世日本絵画が有する独特の美しさと豊かさの探求であった。研究歴の初めにあげられる業績は、『国華』誌上で特集された長沢蘆雪に関する研究である。これは、従来の近世絵画史から見逃されていた画家と作品を位置づけるものとして、斯界から注目された研究であり、いわゆる「奇想」と目されることとなった画家群をも網羅するその後の絵画史研究に刺激を与え、特筆すべきものであった。その後、円山応挙、呉春等を中心とする近世写生画の研究、さらに光悦、宗達、光琳、抱一等の琳派研究へと展開していった。また、田能村竹田、与謝蕪村、浦上玉堂等の南画研究、宋紫石の長崎派、さらに西郷孤月、長井雲坪、狩野芳崖、高橋由一にいたる幕末明治期の画家研究に領域をひろげていった。ここで一貫していた研究姿勢は、作品に直に接することからの知見をもとに深められるものであり、同時にその折の豊かな感性に裏づけられた経験をもとに論考されていた点である。美術史研究の基本である誠実に「見る」ことを通していた点は、趣味でもあった写真にも生かされ、晩年に刊行した写真集に収められたアジア、欧米各地での調査研究旅行の折に撮られた写真の数々には、人間や自然への暖かい眼差しが感じられる。巨躯ながら、眼鏡に手を添えつつ訥々とした語りで近世絵画の「面白さ」を講義する時、その姿には温和ながら美術への熱い想いが常にこめられていたことを記憶する。 著述目録は、下記の通りである。(本目録は、「山川武先生を偲ぶ会」編によるものである。)
「山姥図」と長沢蘆雪(『仏教芸術』52号、1963年11月)
長沢蘆雪筆 雀図(『国華』860号、1963年11月)
長沢蘆雪とその南紀における作品(同前)
長沢蘆雪伝歴と年譜(同前)
西光寺の蘆雪画(『仏教芸術』60号、1966年4月)
大覚寺と渡辺始興(『障壁画全集 大覚寺』、美術出版社、1967年3月)
正木家 利休居士像(『国華』901号、1967年4月)
表千家 利休居士像(同前)
三玄院 大宝円鑑国師像(同前)
東大寺大仏の鋳造及び補修に関する技術的研究 その一(共同研究)(『東京芸術大学美術学部紀要』4号、1968年3月)
良正院の障壁画(『障壁画全集 知恩院』、美術出版社、1969年1月)
写生画(『原色日本の美術19 南画と写生画』、小学館、1969年2月)
円山応挙について―「写生画」の意味の検討―(『美学』79号、1969年12月)
長沢蘆雪襖絵(『奈良六大寺大観 第6巻 薬師寺 全』、岩波書店、1970年8月)
結城素明作 鶏図杉戸(『昭和45年度 東京芸術大学芸術資料館年報』、1971年9月)
長沢蘆雪筆 墨龍図(『国華』942号、1972年1月)
長沢蘆雪筆 汝陽逢麹車図(同前)
絵画 第5章 江戸時代(『奈良市史 美術編』、奈良市、1974年4月)
円山応挙についての二三の問題(『国華』945号、1972年4月)
呉春筆 群山露頂図(同前)
呉春筆 耕作図(同前)
長沢蘆雪筆 群猿図(同前)
呉春筆 渓間雨意・池辺雪景図(『国華』948号、1972年8月)
光琳―創造的装飾『みづゑ』812号、1972年10月)
長沢蘆雪筆 仁山智水図(『国華』953号、1972年12月)
屈曲初知用―光琳屏風展雑感(『芸術新潮』277号、1973年1月)
早春の画家―渡辺始興展(『みづゑ』818号、1973年5月)
『日本の名画 6 円山応挙』(講談社、1973年6月)
応挙と蘆雪(『水墨美術大系 第14巻 若冲・蕭白・蘆雪』、講談社、1973年9月)
二つの「槇楓図」屏風(『日本美術』102号、1973年11月)
尾形光琳「槇楓図」(『昭和48年度 東京芸術大学芸術資料館年報』、1974年12月)
松屋耳鳥斎筆 花見の酔客図(『国華』976号、1975年1月)
森狙仙筆 猿図(同前)
森徹山筆 翁図(同前)
源琦筆 四十雀図(同前)
円山応挙筆「牡丹図」他12幅(『昭和49年度 東京芸術大学芸術資料館年報』、1975年12月)
呉春筆「寒木図」、「山水図」、呉春、岸駒合作「山水図」(同前)
(作品解説)(『東京芸術大学蔵品図録 絵画Ⅱ』、東京芸術大学、1976年3月)
円山応挙筆 四季山水図(『国華』997号、1977年1月)
『日本美術絵画全集 第22巻 応挙/呉春』(集英社、1977年4月)
円山応挙筆 春秋鮎図(『国華』1002号、1977年7月)
長沢蘆雪筆 岩上小禽図、長沢蘆雪筆 狐鶴図(『国華』1003号、1977年8月)
(作品解説)(『東京芸術大学所蔵名品展―創立90周年記念―』(東京芸術大学、1977年9月)
円山四条派(『文化財講座 日本の美術3 絵画(桃山・江戸)』、第一法規出版、1977年11月)
円山応挙筆 蟹図屏風(『国華』1008号、1978年2月)
円山・四条派と花鳥・山水(『日本屏風絵集成 第8巻 花鳥画―花鳥・山水』、講談社、1978年5月)
円山応挙筆 螃蟹図(『国華』1017号、1978年11月)
浦上玉堂筆 青松丹壑図(『昭和52年度 東京芸術大学芸術資料館年報』、1979年3月)
近世市民芸術の黎明『日本美術全集 第21巻 琳派 光悦/宗達/光琳』(学習研究社、1979年8月)
本阿弥光悦(同前)
俵屋宗達(同前)
尾形光琳と乾山(同前)
(作品解説)(『東京芸術大学蔵品図録 絵画Ⅰ』、東京芸術大学、1980年3月)
上方の町人芸術(『週刊朝日百科 世界の美術129 江戸時代後期の絵画Ⅱ 円山・四条派と若冲・蕭白』(朝日新聞社、1980年9月)
若冲と蕭白(同前)
蕪村の寒山拾得(『日本美術工芸』512号、1981年5月)
1980年の歴史学界―回顧と展望―日本近世〔絵画〕〔工芸〕(『史学雑誌』90編5号、1981年5月)
「江戸琳派」開眼―抱一・其一について―(『三彩』406号、1981年7月)
長沢蘆雪筆 瀧に鶴亀図屏風 同 赤壁図屏風(『国華』1047号、1981年12月)
呉春筆 白梅図屏風(『国華』1053号、1982年7月)
日本美術史上での南画の位置づけ(『田能村竹田展』、大分県立芸術会館、1982年10月)
彷徨の画家西郷孤月(『西郷孤月画集』、信濃毎日新聞社、1983年10月)
(作品解説)(『英一蝶展』、板橋区立美術館、1984年2月)
(作品解説)(『東京芸術大学所蔵名品展』、京都新聞社、1984年10月)
一旅絵師の生涯―雲坪小伝―(『長井雲坪』、信濃毎日新聞社、1985年4月)
光琳の生涯(『芸術公論』10号、1985年11月)
宋紫石とその時代(『宋紫石とその時代』、板橋区立美術館、1986年4月)
宋紫石の画業とその時代(『宋紫石画集』、宋紫石顕彰会、1986年9月)
第2章 絵画(『深大寺学術総合調査報告書 第1分冊・彫刻 絵画 工芸』、深大寺、1987年11月)
(解題)(『東京芸術大学 創立百周年記念 貴重図書展』、東京芸術大学附属図書館、1987年11月)
化政期の江戸絵画(『東京芸術大学芸術資料館所蔵品による 化政期の江戸絵画』、東京芸術大学美術学部・芸術資料館、1988年11月)
狩野芳崖と、その「悲母観音」について(『特別展観 重要文化財 悲母観音 狩野芳崖筆』、東京芸術大学芸術資料館、1989年10月)
円山応挙筆 秋月雪峽図(『国華』1132号、1990年3月)
近世、伊那谷が生んだ二画人(『佐竹蓬平と鈴木芙蓉』、信濃毎日新聞社、1990年7月)
高橋由一の「鮭」を考える(『特別展観 重要文化財 鮭 高橋由一作』、東京芸術大学芸術資料館、1990年10月)
佐竹蓬平、その生涯と芸術(『佐竹蓬平展』、飯田市美術博物館 1990年10月)
長崎派(『古美術』100号、1991年10月)
円山・四条派における「写生画」の意味について(『美術京都』11号、1993年1月)
「退官記念 山川武教授の選ぶ近世絵画」展列品解説(『退官記念 山川武教授』、東京芸術大学美術学部、1994年1月)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「山川武」『日本美術年鑑』平成17年版(350-352頁)
例)「山川武 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28298.html(閲覧日 2024-12-05)
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