中野弘彦

没年月日:2004/03/04
分野:, (日)
読み:なかのひろひこ

 日本画家で成安造形大学名誉教授の中野弘彦は3月4日午前2時20分、肺炎のため京都市伏見区の病院で死去した。享年76。1927(昭和2)年4月3日、山口県に生まれる。45年京都市立美術工芸学校を卒業。52年第16回新制作展に「風景」が初入選。その後、絵を描くことをやめ、57年立命館大学文学部哲学科哲学専攻を卒業し、59年京都大学文学部哲学科美学美術史学専攻で国内留学修了。67年には中断していた絵画制作を本格的に再開し、70年新制作春季展賞、70・73年京展市長賞、74・76~78・80年創画会春季展賞、75年フランス美術賞展佳作、76年スペイン美術賞展優秀賞と受賞を重ねる。78年には第1回東京セントラル美術館日本画大賞展で「西行」が優秀賞、京都府主催の京都美術展で大賞、続いて79年、鴨長明に自分の心象世界をオーバーラップさせた「方丈記」により第5回山種美術館賞展優秀賞を受ける。82年京都・朝日会館画廊、83年東京画廊及びギャラリー上田で個展開催。1989(平成元)年何必館・京都現代美術館での個展「藤原定家と鴨長明の無常」以降は同館にて96年「山頭火と芭蕉」、2003年「無常 存在の根源を観る」を開催。泥絵具系を基軸に、ボールペンやサインペン、鉛筆などを使用しながら樹や植物、家、そして空気を澄明な色彩の中に再構成し、日本の精神文化、とりわけ無常を視覚化するという形而上学的な絵画世界を築いた。90年第3回京都美術文化賞を受賞、翌年その受賞記念展を京都府文化博物館で開催。93年から97年まで成安造形芸術大学教授に就任。93年京都府文化賞功労賞を、98年京都市文化功労者賞を受賞。93・95・97年には資生堂が主催する椿会展に招待出品。98年には京都市美術館で回顧展「中野弘彦―無常をめぐる」が開催された。また1984~86年に雑誌『新潮』の表紙絵を担当、86年に『宮沢賢治童話の世界』を出版している。

出 典:『日本美術年鑑』平成17年版(345頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「中野弘彦」『日本美術年鑑』平成17年版(345頁)
例)「中野弘彦 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28291.html(閲覧日 2024-04-19)

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