松井康成

没年月日:2003/04/11
分野:, (工)
読み:まついこうせい

 陶芸家で、「練上手(ねりあげで)」の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された松井康成は、4月11日午後4時42分、急性呼吸器不全のため死去した。享年75。1927(昭和2)年5月20日、長野県北佐久郡本牧村生まれ。本名宮城美明(みめい)。52年明治大学文学部文学科卒業。同年、茨城県笠間の浄土宗月崇寺(げっそうじ)住職の長女松井秀子と結婚、松井姓となる。57年月崇寺第二十三世住職となる。60年月崇寺境内に窯を築き、古陶磁の研究に基づく倣古作品を制作していたが、陶芸家田村耕一のすすめで、68年頃からは練上手の技法に専念するようになる。69年第9回伝統工芸新作展に「練上手大鉢」が初入選し、奨励賞を受賞。同年、第16回日本伝統工芸展に「練上手壺」を出品し、初入選。70年第10回伝統工芸新作展に「練上手辰砂鉢」を出品し、日本工芸会賞を受賞。71年第18回日本伝統工芸展に「練上線文鉢」を出品し、日本工芸会総裁賞受賞。73年第2回日本陶芸展(公募部門第1部)に「練上線文鉢」を出品し、最優秀作品賞・秩父宮賜杯受賞。74年日本陶磁協会賞を受賞。75年第22回日本伝統工芸展に「練上壺」を出品し、NHK会長賞を受賞。76年「嘯裂(しょうれつ)」と「象裂瓷(しょうれつじ)」をあいついで発表。「嘯裂」とは、器の表面を刷毛や櫛などで荒らし、傷を入れることによって生じるひび割れを模様に見立てたもので、また、「象裂瓷」とは異なる種類の色土を二層、三層に重ね、成形後に深く切込みを入れて下層の色土が見えるようにする技法である。いずれも土そのものの粗く厳しい質感をあらわしたもので、それまでの練上にはない、松井康成独自の作品世界を示すものとして高く評価された。79年から現代工藝展(資生堂ギャラリー)に参加。83年からは「堆瓷(ついじ)」と呼ぶ、彩泥の技法による作品を発表。85年には「破調練上」を発表。86年第2回藤原啓記念賞を受賞。87年には「風白地(ふうはくじ)」と呼ぶ、器の表面に粗い砂を強く吹き付けることによって荒涼とした雰囲気を表現した作品を発表。1990(平成2)年日本工芸会常任理事となる。同年、日本陶磁協会金賞受賞。91年第4回MOA岡田茂吉賞大賞受賞。92年には、釉薬による光沢と鮮やかな色土による華麗な「萃瓷(すいじ)」を発表。93年「練上手」の技法により重要無形文化財保持者に認定される。同年、パリで松井康成展開催(三越エトワール)。同年、茨城新聞社より茨城賞受賞。94年「人間国宝松井康成練上の美」展開催(朝日新聞社主催、日本橋高島屋ほか)。同年、茨城県より特別功績賞受賞。96年「玻璃光(はりこう)」と呼ぶ、焼成後にダイヤモンドの粉末で研磨した、滑らかでしっとりとした光沢を放つ作品を発表。同年、茨城県近代美術館にて「変貌する土――松井康成の世界」展開催。99年平成11年度重要無形文化財「練上手」伝承者養成研修会の講師を勤める(翌年も)。練上手の作品は色の異なる土を組み合わせて成形するため、土の収縮率の違いなどから、焼成の段階で割れる可能性が高いが、松井康成は少量でも発色の良い呈色剤を加えることにより、同じ性質でも色の異なる土を作り出す工夫をし、色彩豊かな練上げ作品を制作した。そして、「嘯裂(しょうれつ)」、「象裂瓷(しょうれつじ)」、「堆瓷(ついじ)」、「風白地(ふうはくじ)」、「萃瓷(すいじ)」、「玻璃光(はりこう)」などの技法を新たに創案し、多彩な作品を制作、練上の技法による表現の可能性を広げ、それまでには見られない独自の作品世界を切り開いていった。作品集に、『松井康成陶瓷作品集』(講談社、1984年)、『松井康成練上作品集1985―1990』(講談社、1990年)。また、著書に『松井康成随想集:無のかたち』(講談社、1980年)、『宇宙性』(講談社、1994年)。

出 典:『日本美術年鑑』平成16年版(298頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「松井康成」『日本美術年鑑』平成16年版(298頁)
例)「松井康成 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28271.html(閲覧日 2024-03-29)

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