鈴木治

没年月日:2001/04/09
分野:, (工)
読み:すずきおさむ、 Suzuki, Osamu*

 陶芸家で、戦後の日本の陶芸界をリードした走泥社の創立メンバーであり、京都市立芸術大学名誉教授の鈴木治は、4月9日午後1時10分、食道がんのため死去した。享年74。1926(大正15)年11月15日、京都市生まれ。生家のあった五条坂界隈は清水焼の中心地であり、父鈴木宇源治は永楽善五郎工房のろくろ職人であった。1943(昭和18)年京都市立第二工業学校窯業科卒業。戦後、46年中島清を中心に、京都の若手陶芸家が集まって結成された青年作陶家集団に参加。47年日展初入選。48年青年作陶家集団は第3回展をもって解散し、八木一夫山田光らとともに走泥社を結成する。50年現代日本陶芸展(パリ)に出品、52年第1回現代日本陶芸展で受賞。54年第1回朝日新人展に、器の口を閉じた「作品」を出品する。用途をもたない、器の口を閉じた陶芸作品の出現は、陶芸の分野においては画期的な出来事であった。60年日本陶磁協会賞受賞。62年第3回国際陶芸展(プラハ)に「織部釉方壷」を出品し、金賞受賞。63年現代日本陶芸の展望展(国立近代美術館京都分館開館記念展)に「土偶」、翌64年現代国際陶芸展(国立近代美術館、東京)に「フタツの箱」を出品、いずれも白化粧の上に幾何学的な文様や記号をあらわした作品である。65年の個展以後は自らの作品を「泥像」と呼び、この頃から、信楽の土を主とした胎土の上に、赤化粧を施し、部分的にや灰をかけた焼き締め風の作品を制作する。67年個展に「馬」を出品、馬は鈴木にとって重要なモチーフであり、その後もしばしば馬を題材とした作品を制作する。70年ヴァロリス国際陶芸ビエンナーレ展(フランス)に「ふり返る馬」を出品し、金賞を受賞。71年走泥社東京展で青白磁(影青)の作品を出品、同年の個展で青白磁の「縞の立像」を出品。同年ファンツア国際陶芸展(イタリア)に「四角なとり」を出品、貿易大臣賞を受賞。79年京都市立芸術大学美術学部教授となる。82年個展に「雲」の連作を出品。83年の個展から、自らの作品に「泥象」という言葉を使いはじめる。「泥象」とは泥のかたちの意であり、人や動物だけでなく、雲や風や太陽といった自然現象をモチーフに制作を行う鈴木の造語である。同年、第7回日本陶芸展に「山の上にかかる雲」を出品、日本陶芸展賞を受賞。84年1983年度日本陶磁協会金賞、第一回藤原啓記念賞を受賞。85年毎日芸術賞を受賞。同年、伊勢丹美術館(東京)にて回顧展「泥象を拓く 鈴木治陶磁展」(大阪、岡山を巡回)が開催される。87年第五回京都府文化賞功労賞を受賞。同年、個展に「掌上泥象百種」、「掌上泥象三十八景」を出品。88年個展に、穴窯で制作した「穴窯泥象」を出品。1989(平成元)年「鈴木治展」(京都府立文化会館)が開催される。90年京都市立芸術大学美術学部長となる。92年京都市立芸術大学を退官、名誉教授となる。93年京都市文化功労者となる。94年紫綬褒章受章、第7回京都美術文化賞を受賞。98年第30回日本芸術大賞を受賞。同年、50周年記念’98走泥社京都展をもって走泥社は解散。同年、個展に「木」の連作を出品。99年第69回朝日賞、第17回京都府文化賞特別功労賞を受賞。同年、東京国立近代美術館工芸館にて回顧展「鈴木治の陶芸」展が開催される(福島、京都、広島、倉敷を巡回)。走泥社の創立メンバーであり、革新的陶芸の旗手として戦後を通じて日本の陶芸界の第一線で活動を続けた鈴木治は、馬や鳥、雲や太陽などをモチーフにした抽象的フォルムの詩情あふれる作品で高く評価される。『鈴木治陶芸作品集』(講談社 1982年)。

「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用
出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(236-237頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「鈴木治」『日本美術年鑑』平成14年版(236-237頁)
例)「鈴木治 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28216.html(閲覧日 2021-07-24)

以下のデータベースにも「鈴木治」が含まれます。
to page top