中島徳博

没年月日:2014/08/28
分野:, (漫)
読み:なかじまのりひろ

 漫画家の中島徳博は、8月28日、大腸がんのため神奈川県横浜市の病院で死去した。享年64。
 1950(昭和25)年7月12日、鹿児島県鹿児島市に生まれる。小学校のとき赤塚不二夫の少女マンガに感動し、漫画家を志す。鹿児島実業土木科2年次在学時に貸本マンガでデビュー。69年に卒業後、大阪にでて看板製作会社に住み込みで働きながら制作を続け、70年「悪友伝」が『週刊少年ジャンプ』(以下『ジャンプ』)の新人賞に準入選し、上京する。『ジャンプ』に72年39号より、遠崎史朗の原作を得て「アストロ球団」の連載を開始、76年26号まで続いた(全5巻、1999年、太田出版)。「超人」たちが繰り広げる「1試合完全燃焼」試合ではクライマックスが毎週のように続く。本作は、「巨人の星」以後の野球漫画に描かれてきた「スポ根」の系譜だが、次第に超人たちの奇想天外なプレイが熱狂的な読者を獲得し、70年代初期の「ジャンプの傑作」である。その後、77年から79年まで、『ジャンプ』に四国土佐を舞台に男気を描いた学園もの『朝太郎伝』(全11巻、集英社、1978年)、77年から79年まで、『月刊少年ジャンプ』にはみ出し刑事のコンビのアクション劇『バイオレンス特急』(全5巻、同、1979年)を発表。青年漫画誌『週刊プレイボーイ』に「バイオレンス・ロマン」をキャッチに九州男児の喧嘩道を描いた『がくらん海峡』(全5巻、集英社、1979年)等を手がけた。中島の漫画は決して洗練された描画とはいえないが、勢いのある画風が特色で、特にアクションシーンのスピード表現における線の重層的な黒さが持ち味である。

出 典:『日本美術年鑑』平成27年版(510頁)
登録日:2017年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「中島徳博」『日本美術年鑑』平成27年版(510頁)
例)「中島徳博 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/247375.html(閲覧日 2024-12-05)
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