森浩一

没年月日:2013/08/06
分野:, (学)
読み:もりこういち、 Mori, Koichi*

 考古学者で同志社大学名誉教授の森浩一は8月6日、急性心不全のため死去した。享年85。
 1928(昭和3)年7月17日大阪市に生まれる。45年3月大阪府立堺中学校卒業、46年4月同志社大学予科入学。考古学を専攻できないことと日英の地理的共通性への関心などから49年4月同志社大学英文科三年に編入し、51年3月同科卒業。同年4月大阪府立泉大津高等学校教諭となる。55年4月同志社大学大学院文学研究科修士課程に入学し、57年同課程修了。同年4月同博士課程に入学するが翌58年中退。65年8月泉大津高等学校教諭を退職し、同志社大学文学部専任講師となる。67年4月に助教授となり、72年4月教授就任。1999(平成11)年3月同志社大学を退職し、同名誉教授となる。
 氏は小中学生時代に目にした遺物や遺跡を通じて考古学に目覚め、その情熱は生涯変わらずに続いたが、研究に対するその姿勢は、自身の純粋学問的好奇心から調査・研究に取り組むのであって金銭や社会的な見返りを求めるものでない、というものであった。方法論として遺構遺物の観察に基づく実証主義に依りつつ、考古学はもちろんのこと、文献史学・民俗学・人類学・神話学など様々な関連諸学に精通した幅広い視野を背景とした既成の権威や学説にとらわれない自由な発想によって、古墳時代を中心とした古代史の総合的理解に精力的に取り組んだ。遺物や遺構研究の先に遺跡や地域の歴史解明という明確な方向性が設定されていたために、関西を拠点としながらも地域史の視点を重視し、「東海学」、「関東学」といった歴史研究のための地理的な枠組みを提唱して様々な研究や成果の普及活動にも努めた。
 大学に教員として勤務する頃までに携わった発掘調査には、大阪府和泉黄金塚古墳や奈良市大和6号墳、また大阪府黒姫山古墳など、戦前戦後の行政的遺跡保護体制が極めて不十分な中での手弁当による緊急発掘調査が多く、後に取り組む、いたすけ古墳保存運動などを含め、遺跡遺物の記録や保護にも多大な功績がある。主導した数多くの重要な発掘調査記録以外の主要な業績としては、窯跡出土須恵器編年の構築、三角縁神獣鏡国内産説の提示、陵墓被葬者の探求とその公開運動などがあり、幅広い学問的関心と視野の広さから生み出されたその著作物とその内容は多様で、監修・編著を含む著書264冊、論文292編、新聞寄稿118編に上る。また交流した研究者・文化人は多岐にわたり、その研究姿勢に影響を受けた考古学者も多い。熱心な教育活動によって数多の若手研究者を育成したことは、死去後に刊行された追悼論集や特集に寄せられた寄稿の数が如実に示している。この他、若手や在野研究者の成果発表の場としての古代学研究会と機関誌『古代学研究』の創設でも功績が高い。
 民間の研究者、すなわち氏の自称する「町人学者」としての人生哲学から、生涯叙勲褒章を受けなかったが、同じ姿勢を貫いた人物を顕彰した賞であるとして、2012年、唯一第22回南方熊楠賞(人文の部)を受賞している。

「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用
出 典:『日本美術年鑑』平成26年版(461-462頁)
登録日:2016年09月05日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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