菅谷文則

没年月日:2019/06/18
分野:, (学)
読み:すがやふみのり

 滋賀県立大学名誉教授で奈良県立橿原考古学研究所第5代所長の考古学者・菅谷文則は脳腫瘍のため6月18日に死去した。享年76。
 1942(昭和17)年9月7日、奈良県宇陀郡榛原町(現、宇陀市)に生まれた。親和幼稚園、榛原第一小学校に学び、榛原中学校在学の時、小泉俊夫・百地保次両教諭の引率で初めて発掘現場を訪れた。奈良県立畝傍高等学校に進学し、メスリ山古墳や大和天神山古墳の発掘調査に参加し、また山岳部に所属してインターハイ出場を果たした。61年、関西大学文学部史学科に入学し、末永雅雄の研究室に学んだ。65年、同大学院文学研究科に進み(~1967年9月)、文学修士号を授与された。この間、奈良県立橿原考古学研究所調査協力員として県下の遺跡調査に従事し、大学院修了後は関西大学文学部考古学研究室嘱託となった。68年4月、奈良県教育委員会文化財保存課技師に任ぜられ、74年4月には奈良県立橿原考古学研究所研究職技師となり、1995(平成7)年3月までの間、シルクロード学研究センター研究主幹、調査第一課長等を務めた。公務の一方、69年には森浩一・櫃本誠一らと朝鮮半島南部を踏査し、これが自身にとって最初の海外調査となった。77年には西田信晴・床田健治・中井一夫らとアフガニスタンでの1カ月にわたる調査を実施した。79年9月、日中国交正常化後の初の交換留学生として北京語言学院に学び、翌年7月からは北京大学歴史系考古学専業進修課程にて宿白に師事した。95年4月、新設の滋賀県立大学に転じ人間文化学部教授を命ぜられた。この頃、日中共同の発掘調査を実現すべく当局との調整を重ね、同年より谷一尚を日本側代表とする中日聯合原州考古隊の日本側副隊長兼発掘隊長として、寧夏回族自治区における北周田弘墓、唐史道洛墓の発掘を指揮した。また、山東省において漢鏡の調査をおこなうなど、中国での考古学調査を本格化させた。国内にあっては兵庫県三田市史編纂事業に伴う古墳群の測量調査や、和歌山県那智勝浦町下里古墳の発掘調査を指導した。
 2008年3月に大学を定年退職し、09年4月をもって奈良県立橿原考古学研究所第5代所長に就任した。11年には中国・陝西歴史博物館で「日本考古展」を開催して日中交流を推し進め、また14年には室生埋蔵文化財整理収蔵センターを開所させるなど、文化財保護の環境整備にも尽力した。この間、奈良県文化財保護審議委員副議長、奈良県史跡等整備活用補助金選定審査会委員長、宇陀市文化財審議会委員長など各地の文化財審議委員のほか、ユネスコ・アジア文化センター文化遺産保護協力事業運営審議会委員、中国社会科学院中国古代文明研究中心客員研究員として学識を公益に供した。2019(令和元)年5月31日、所長職を退任した。
 菅谷の研究は、その広範な調査範囲が示すように一時代一地域に留まるものでなく、ユーラシア全土を基盤とした東アジア考古学であり、シルクロード学であった。そこでは特に王権と信仰、そして武器・武具の諸相を命題に掲げ、これに関する山の考古学研究会(1987年発足)、古代武器研究会(2000年発足)、ソグド文化研究会(2007年発足)、アジア鋳造技術史学会(2007年発足)等の創設や運営に携わり研究基盤を整備した。
 王権に関わる研究課題のひとつである三角縁神獣鏡の研究では、技術論(『製作技術を視座とした三角縁神獣鏡の編年と生産体制研究』、「三角縁神獣鏡における製作技術の一側面―二層式鋳型と型押し技法の検証―」(共著)『古代学研究』220、古代学研究会 2019年)、資源論(「自然銅の考古学(1)」『古代学研究』150、2000年)、系譜論(『中日出土銅鏡の比較研究』、『中国出土銅鏡の地域別鏡式分布に関する研究』、『中国洛陽出土銅鏡と日本弥生時代出土銅鏡の比較研究』)等多岐に及んだ。
 信仰に関しては、発掘調査と実地踏査を重んじ、法隆寺若草伽藍や大峰山における山岳霊場の発掘等で成果をあげた。後者では多年にわたる功績により真言宗醍醐派大山龍泉寺より「正大先達」の称号を授与された。
 武器武具では、中国出土の画像資料や副葬用の模型明器を素材にこれを論じ(「晋の威儀と武器について」『古代武器研究』1、2000年、「中国南北朝の木製刀剣」『古代武器研究』2、2001年、「中国晋の盾と前期古墳の盾について」『古代武器研究』8、2007年)、古墳時代を東アジア史のなかで位置づけるための重要な視座を示した。
 著書に『日本人と鏡』(同朋舎出版、1991年)、『健康を食べる 豆腐』(共著、保育社、1995年)、『三蔵法師が行くシルクロード』(新日本出版社、2013年)、『大安寺伽藍縁起并流記資財帳を読む』(南都大安寺編、東方出版、2020年)、『甦る法隆寺 考古学が明かす再建の謎』(柳原出版、2021年)等があり、そのほか多数の発掘報告書を手掛けた。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(494-495頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「菅谷文則」『日本美術年鑑』令和2年版(494-495頁)
例)「菅谷文則 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041046.html(閲覧日 2024-04-25)

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