八賀晋 (はちがすすむ)

没年月日:2015/10/06
分野:, (学)

 考古学者で三重大学名誉教授の八賀晋は10月6日、肺がんのため死去した。享年81。
 1934(昭和9)年5月15日、岐阜県高山市に生まれる。50年3月高山市立第2中学校卒業。同年4月斐太高等学校入学、53年3月同校卒業。同年4月岐阜大学学芸学部史学科入学、57年3月同科卒業。59年4月名古屋大学文学部研究生となり、翌年4月同大大学院文学研究科史学地理学専攻修士課程に入学、63年3月同課程修了後、同年4月奈良国立文化財研究所歴史研究室に入所した。奈良国立文化財研究所では、平城宮跡発掘調査部、飛鳥藤原宮跡発掘調査部にて諸遺跡の調査に当たった後、76年4月京都国立博物館学芸課考古室長に転出、さらに85年4月に三重大学人文学部の考古学研究室教授に就任し、1998(平成10)年同大を退官して名誉教授となった。また三重大学のほか、35年にわたった岐阜大学や、関西学院大学・同志社大学においても教鞭をとった。
 八賀は大学学部生時代より数多くの発掘調査に従事し、調査指導を行なった。岐阜大学から名古屋大学大学院在籍時の主な調査には猿投古窯址群や岐阜県域の古墳などがあり、奈良国立文化財研究所在職時には平城宮跡を始めとして、興福寺、大安寺や岐阜県内の国分寺・地方古代官衙・寺院跡、またその瓦窯跡などの調査に携わった。京都国立博物館在職時には考古学関係展覧会の企画実施といった博物館業務を中心に活動し、三重大学に移ってからは熱心な教育活動に加え、以前より行なってきた岐阜県内の飛騨国分尼寺といった寺院跡や美濃国府などの調査、また船形埴輪を出土したことでも著名な松阪市宝塚1号墳など三重県内の諸古墳を始めとする多数の遺跡調査を精力的に実施した。
 八賀の研究や業務実績は幅広い。大学在籍時に行なった業績としては、水田土壌の特徴に着目して弥生時代から古代にかけての集落分布の変化と水田開発との対応関係を指摘した先駆的研究が著名であり、奈良国立文化財研究所在職時では、特定の古瓦様式を持つ寺院の分布と政治勢力との関係を論じた研究などが広く知られている。また京都国立博物館在職時では、美術史展覧会が主体となってきた同館において77年に企画した展覧会「日本の黎明―考古資料にみる日本文化の東と西―」で全国から出土した旧石器時代から古墳時代までの考古遺物によって日本列島の東西文化の違いを示したことで注目を浴び、またこれ以降、〓製三角縁神獣鏡をはじめとする青銅鏡の研究にも取り組んだ。三重大学赴任後は、森浩一らと共に長期に亘って参画した「飛騨国府シンポジウム」や「春日井シンポジウム」、また愛知・岐阜・三重県史編纂を始めとする中京圏を中心とした地域史研究とその広範な普及への積極的な参加がこの時期の八賀の姿勢を示していよう。
 学問的な厳しさと社交性を兼ね備えたその人柄は年齢を問わず多くの人々に愛され、発掘調査、遺物・遺構に対する綿密な観察力と図化能力、さらに長年の経験に裏付けられた文化財写真撮影の優れた技術力は、生きた学問として在籍した職場の同僚や学生らに現在も伝えられている。2010年には地域文化功労者文部科学大臣表彰を受けた。

出 典:『日本美術年鑑』平成28年版(555-556頁)
登録日:2018年10月11日
更新日:2019年01月23日 (更新履歴)
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