河村要助

没年月日:2019/06/04
分野:, (その他)
読み:かわむらようすけ

 イラストレーターの河村要助は6月4日、老衰のため死去した。享年75。
 1944(昭和19)年4月28日、埼玉県浦和市に生まれ、ほどなく東京へ移り西荻窪で育つ。69年東京藝術大学美術学部工芸科(ビジュアルデザイン専攻)を卒業し、JKスタジオにグラフィックデザイナーとして勤務(1971年まで)、西武百貨店やパルコの広告を制作する。当時ニューヨークで活動していたデザイングループ、プッシュピン・スタジオの仕事に強く魅かれ、とくにポール・デービスの文明批評的な作風に刺激を受ける。70年に矢吹申彦、湯村輝彦とともにイラストレーションのグループ「100%スタジオ」を結成(1974年まで)、“ヘタうま”と呼ばれる、描写のテクニックを切り捨てた作品で注目を集めた。71年よりフリーランスのイラストレーターとなり、『話の特集』『NEW MUSIC MAGAZINE』(現、『MUSIC MAGAZINE』)『angle』等の表紙や挿絵を担当。74年、湯村輝彦、原田治、佐藤憲吉(ペーター佐藤)、大西重成と「ホームラン」というイラストレーター・チームを結成、ニュースペーパー『ホームラン』を創刊。75年にニッカウヰスキーの新製品「黒の、50」の宣伝に作品を提供、評判となる。他に日本中央競馬会(JRA)のキャンペーン等、話題作を手がけた。作風はアメリカナイズされた実験的感覚に独特のデフォルメと色彩感が特徴的。またラテン音楽、とくにサルサに傾倒、評論等も数多く手がけ、作品にもその影響は色濃く反映されている。メレンゲ・バンド「アラスカ・バンド」でもトロンボーンを担当。86年に日本グラフィック展年間作家最高賞、87年と1990(平成2)年に東京ADC賞、90年に『年鑑日本のイラストレーション』作家賞を受賞。89年には音楽専門誌『Bad News』の創刊者の一人となり、イラストレーションはもとより細かなデザインまで全て手がけた。作品集には『EXOTICA』(PARCO出版、1981年)。著書に『サルサ天国』(話の特集、1983年)、『サルサ番外地』(筑摩書房、1987年)等。晩年は長らく闘病生活を送るも、2009年に松屋銀座のデザインギャラリー1953で、グラフィックデザイナーの佐藤晃一と佐藤卓の担当により個展「イラストレーター河村要助 good news」が開催、その好評を経て11年に銀座のクリエイションギャラリーG8にて個展「伝説のイラストレーター 河村要助の真実」が開催、翌年には大学時代からの友人だった佐藤晃一の監修により作品集『伝説のイラストレーター 河村要助の真実』(Pヴァイン)が刊行されている。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(492-493頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「河村要助」『日本美術年鑑』令和2年版(492-493頁)
例)「河村要助 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041031.html(閲覧日 2024-04-22)

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