本江邦夫

没年月日:2019/06/03
分野:, (学)
読み:もとえくにお

 美術評論家で多摩美術大学名誉教授の本江邦夫は心筋梗塞のため6月3日急逝した。享年70。
 1948(昭和23)年9月25日、愛媛県松山市に生まれる。東京の小学校にあがるが、少年期は中学2年生まで札幌と小樽ですごす。高校時代は数学や宇宙工学に興味をもった。76年東京大学人文系大学院修士課程(西洋美術史専攻)修了。同年より東京国立近代美術館に勤務。78年から1年間『美術手帖』の展評欄(東京)を執筆。81年マチス展、83年ピカソ展、87年ゴーギャン展、1989(平成元)年ルドン展といった西洋近代の作家の回顧展に携わった。テーマ展として、84年の「メタファーとシンボル」展は国内外22名の作家により、表象としての作品の傾向を体系からずれていく隠喩と根源的な象徴へ向かう二方向として捉えようとする意欲的な企画だった。また、92年の「現代美術への視点 形象のはざまに」展は、流行に追随せず80年代に活動が顕著な国内の中堅作家15名による展示をみせた。90年には国立美術館として初の漫画家の展示となった手塚治虫展、93年フランス在住の画家黒田アキ展、94年フランスで制作を続けた画家木村忠太の回顧展、95年国立美術館で現役最年少の展覧会となった辰野登恵子展を手がけた。
 98年多摩美術大学教授に就任。休講はしない熱心な教員として教職に取り組む。美術館学芸員時代とは異なる方向をもったのは、公募団体展系の批評に取り組んだことだ。もとより町場の画廊を巡ることを死去する直前まで行っていたが、新たな場へ踏み出したのは、大学において団体公募展が若者たちのデビューのきっかけとなることを身近に感じたからという。コンクールの審査も数多く務め、VOCA展は開始直後からの委員を、シェル美術賞の委員も長く務めた。執筆活動も幅広くなり、頼まれた原稿は「原則ことわらない」ことを常に語っていた。2001年より09年まで府中市美術館館長(兼務)。
 主要な著書として、『ポール・ゴーガン』(千趣会、1978年)、『世界版画美術全集 マティス/ブラック』(講談社、1981年、共著)、『アート・ギャラリー ゴーギャン』(集英社、1986年)、『ポール・ゴーギャン:«ノアノア»連作全版画と周辺』(伽藍洞ギャラリー、1987年)、Toeko Tatsuno Paintings(Fabian Carlsson Gallery,London,1987)、『朝日美術館 ゴーギャン』(朝日新聞社、1992年、編著)、幾何学的抽象絵画への入門書『○△□の美しさって何?』(ポプラ社、1991年、2003年増補改定され〓凡社ライブラリーから『中・高校生のための現代美術入門』として発行)、『世界美術大全集 キュビスムと抽象美術』(小学館、1996年、共・編著)、『絵画の行方』(スカイドア、1999年)、『オディロン・ルドン 光を孕む種子』(みすず書房、2003年、芸術選奨新人賞受賞)。『現代日本絵画』(みすず書房、2006年)。主な翻訳書として、『スーチン』(アルフレッド・ヴェルナー著、美術出版社、1978年)、『ドイツ・ロマン派』(フーベルト・シュラーデ著、美術出版社、1980年)、『クレー』(コンスタンス・ノベール=ライザー著、岩波書店、1992年)等がある。『月刊美術』での美術界の人々との連載対談「今日は、ホンネで」は19年7月号で134回にいたった。退官記念文集に『多摩美術大学と私 1998―2019』(多摩美術大学、2019年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(492頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「本江邦夫」『日本美術年鑑』令和2年版(492頁)
例)「本江邦夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041026.html(閲覧日 2024-05-27)

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