モンキー・パンチ

没年月日:2019/04/11
分野:, (漫)
読み:もんきー・ぱんち

 漫画家で大手前大学教授だったモンキー・パンチは4月11日肺炎のため死去した。享年81。
 1937(昭和12)年5月26日北海道厚岸郡浜中町霧多布に生まれる。本名加藤一彦。幼少時代一時愛媛県で過ごす。中学時代に4コマ漫画を漫画雑誌に投稿し、原稿料をもらう体験をする。この頃は手塚治虫の影響が大きい。霧多布高校(定時制)卒業後、58年上京。東海大学附属通信工学校(後・東海大学短期大学)卒業。新聞配達所の住み込みや、商事会社に勤務しつつ漫画同人誌に参加した。59年加東一彦(かとう和彦)名義で貸本漫画『死を予告する鍵』(文洋社)でデビュー。貸本漫画誌に多くの作品を執筆する。この頃アメリカの漫画雑誌『MAD』の影響を受ける。66年双葉社の『漫画ストーリー』にムタ永(栄)二(マニア・ぐるうぷ)名義で短編「人類学プレイボーイ入門」、モンキー・パンチ名義で「呪われたダイヤ」や表紙絵等を描き、67年『週刊漫画アクション』創刊時から「ルパン三世」の連載を開始する。以後同誌に「ルパン三世 新冒険」(1971―72年)、「新ルパン三世」(1977―81年)等を発表。指先までの丁寧な線描、身体のしなやかな描線はイラスト風で軽妙、コマ絵を思わせる。多くの作品を発表したが「ルパン三世」は別格で、テレビアニメで繰り返し放映され、映画化、宝塚での舞台化、パチンコ台にも「ルパン三世」のキャラクターは登場した。また、デジタル漫画の可能性に着目、デジタルマンガ協会の会長を務め、東京工科大学大学院でマルチメディアを学び、自らは2005(平成17)年から大手前大学で漫画を指導した。貸本漫画時代から08年までの作品リストを収録した『追悼、モンキー・パンチ。』(双葉社、2019年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(485-486頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「モンキー・パンチ」『日本美術年鑑』令和2年版(485-486頁)
例)「モンキー・パンチ 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2040971.html(閲覧日 2024-04-28)

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