竹山博
創画会会員で、日本画家の竹山博は、2月26日午後8時37分、胃ガンのため、横浜市の病院で死去した。享年70。竹山は、大正12(1923)年6月30日、東京府文京区曙町に生まれる。本名博二。昭和15年、京北中学校4年修了後、東京美術学校日本画科予科に入学。同18年、学徒出陣により応召、翌年9月、出征中ながら同校を卒業。同20年復員後、翌年の第30回院展に初入選、さらに同22年の第31回展に「晩秋」、また第3回日展に「秋暮」が入選した。一方、戦後間もなく、山本丘人宅で開かれていた若い日本画家たちによる研究会「凡宇会」に出入りするようになり、その世話係をする。そして、同23年に山本丘人、上村松篁、吉岡堅二等が中心になって結成された美術団体「創造美術」の第1回展に「藁家」を出品、つづいて同26年、同会が新制作派協会と合同し、日本画部となると、これに出品するようになった。同38年、第27回同協会展に出品の「巌と滝」によって、さらに同40年の第29回展出品の「源流」、「凍雪」によって新作家賞を受け、同41年には会員となった。同49年、同協会の日本画部会員が創画会を結成、以後、同会展に毎回出品する。同会展への出品は、平成5年の第20回展の「海棠(未完)」が最後となった。色彩表現を抑制した、精緻な線描による花鳥画を多く描いた。
出 典:『日本美術年鑑』平成7年版(341-342頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「竹山博」『日本美術年鑑』平成7年版(341-342頁)
例)「竹山博 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10576.html(閲覧日 2024-10-16)
例)「竹山博」『日本美術年鑑』平成7年版(341-342頁)
例)「竹山博 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10576.html(閲覧日 2024-10-16)