村上炳人

没年月日:1997/03/28
分野:, (彫)

 二科会理事の彫刻家村上炳人は3月28日午前2時18分、脳こうそくのため京都市西京区のシミズ病院で死去した。享年81。大正5(1916)年2月25日、富山県高岡市佐野の浄土真宗の寺に生まれる。本名丙(あきら)。昭和8(1933)年富山県立工芸学校(現・富山県立高岡工芸高等学校)を卒業して上京し、平櫛田中の内弟子となる。同9年日本美術院春季展に初入選。同12年第24回院展に「鹿」で初入選し、以後同展に入選を続け、同17年9月院友となる。同12年より15年まで、および同18年より21年まで戦地に赴く。帰国後、京都に住んで古社寺をめぐり彫刻研究を進め、一方、連年院展に出品を続けた。同24年第34回院展に「青年像」を出品して奨励賞、同25年第35回同展に夫人をモデルにした「婦女像」を出品して同じく奨励賞を受賞。同28年の同展小品展でも奨励賞を受賞している。この間、同28年より29年まで石井鶴三の主導による法隆寺金堂の復元事業に参加。院展には第43回展まで連続入選するが、抽象彫刻への興味が高まり、同32年「献水」を院展に出品したのを最後に同34年、日本美術院を退会して二紀会に参加し、以後、同展に出品を続けた。同36年第15回二紀展に「道化」「人間模様」を出品して同人優賞受賞。同30年代から40年代にかけて抽象彫刻の研究を進める一方で、同36年より38年まで大阪四天王寺金堂本尊救世観音菩薩像を、引き続き同39年より翌年まで同寺八角大灯篭を制作するなど、古典的仏教彫刻や具象的な作品も制作している。同48年第27回二紀展に「つめこまれたちえぶくろ」「文化人間」を出品して菊花賞受賞。同50年代には再度具象的な表現にもどり、抽象彫刻で培った幾何学的な形態の構成力をもとに、対象のかたちを再構築する作品を制作。同52年二紀会評議員となり、同55年二紀会理事となった。この間、同54年東京都銀座の和光ホールで第1回目の個展を開催。同57年京都朝日新聞社の朝日画廊で個展を開催する。同59年第38回二紀展に化粧する舞妓をモティーフとした「esquisse」を出品して文部大臣賞を受賞。同61年東京銀座和光で第2回個展、平成5年には同所で第3回個展を開催した。抽象彫刻を制作しはじめてから、公共空間のための作品やモニュメントをも手がけ、富山市制80周年記念のための壁面彫刻「め」(昭和55-56年)、大分市平和祈念像「ムッちゃん」(同57-58年)、尼崎市近松公園の「近松門左衛門像」(同60-61年)、大分市総合彫刻「宇宙曼荼羅」などの作例がある。平成8年7月、郷里の高岡市美術館で「村上炳人展 日本の心を刻む造形への執念」展が開催されている。逝去は同展準備中のことであった。

出 典:『日本美術年鑑』平成10年版(393頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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