川田清

没年月日:1997/01/27
分野:, (彫)
読み:かわたきよし

 国画会彫刻部会員の川田清は1月27日午後10時50分、がん性悪液質のため東京都新宿区の病院で死去した。享年65。昭和7(1932)年1月13日埼玉県深谷市成塚231に生まれる。同26年埼玉県立熊谷高校を卒業して、東京芸術大学彫刻科に入学し、同30年同校を卒業する。同30年タケミヤ画廊で行われた「六土会展」に出品したほか、平和美術展、日本アンデパンダン展にも出品する。同39年国画会彫刻部に「武藤氏像」で初入選。同40年同会彫刻部に「民の声 A」「民の声 B」を出品し、野島賞受賞。翌年同会彫刻部会友となる。同年東京銀座のスルガ台画廊で個展を開催。同42年第41回国画会展に「蝕(67B)」「罠(67A)」を出品して会友優作賞を受賞し、同会会員に推挙される。同44年毎日現代日本美術展に出品。同45年および48年に東京のときわ画廊で個展を開く。同60年日本金属造形作家展に出品。同63年那須友愛の森彫刻シンポジウムに参加した。前述の個展のほか、同39年東京の愛宕山画廊で個展を開催し、以後平成2(1990)年に至るまで同画廊で十数回の個展を開いた。小学校教員をつとめる一方で、彫刻の制作を行いデフォルメした人体像と小動物や静物を組み合わせ、抽象的な概念を表現した。

出 典:『日本美術年鑑』平成10年版(391頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「川田清」『日本美術年鑑』平成10年版(391頁)
例)「川田清 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10556.html(閲覧日 2024-04-26)
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