長廣敏雄

没年月日:1990/11/28
分野:, (学)

美術史家で、京都大学名誉教授、元京都橘女子大学長の長廣敏雄は、11月28日午前3時40分、肺炎のため京都市の京都南病院で死去した。享年84。明治38年12月27日、東京都牛込区に生まれた。第七高等学校造士館から大正15年に京都帝国大学文学部史学科(考古学専攻)へ入学、昭和4年に卒業し、同年から東方文化学院京都研究所(東方文化研究所)の所員となる。同研究所では梅原末治の助手として、「中国青銅器研究」をテーマとする一方、この時期に、ウィーン学派のA・リーグル、W・ヴォリンガー、ベルリン学派のH・ヴェルフリン等の美術史の方法論を学び、昭和5年にリーグル的様式論を基礎とした処女論文「武氏祠画像石」(『東洋美術』第4・5号)を発表した。その後、昭和9年の中国旅行を経て、仏教石窟研究へとむかい、昭和11年、同研究所員水野清一とともに、中国河北省南北響堂山、及び河南省龍門石窟の調査をおこなった。日中戦争開戦前夜の緊迫した情勢下におけるこの貴重な成果は、それぞれ昭和12年と昭和16年に出版された。一方、昭和12年にはリーグル『美術様式論』の翻訳を完了し、後の昭和17年座右宝刊行会から出版された。昭和13年より開始された山西省雲岡石窟の調査は、水野・長廣を中心として調査隊が編成され、昭和19年までの毎年続けられたが、長廣自身は、一員であった『世界文化』の同人たちが治安維持法により逮捕されるという事態に絡み渡航不許可となり、初回の調査には不参加、以後昭和14・16・17・19年に参加している。戦時下という困難な時期に遂行された、大規模かつ精密なこの調査は、東洋仏教美術・考古研究史上比類ない世界的な成果である。その調査結果は、昭和26年より刊行がはじまり、昭和31年に全16巻が完結した。この出版によって、水野とともに、昭和26年に朝日文化賞、昭和27年には学士院恩賜賞を受賞した。昭和23年に東方文化研究所は解散、京都大学人文科学研究所東方部となり、同研究所の研究員から昭和24年に助教授、昭和25年には教授となった。その間、昭和24年6月の美術史学会創立にも力を尽くした。『雲岡石窟』刊行後は、尉遅乙僧他の中国北朝・隋唐の芸術家について研究を進める一方で、平凡社版『世界美術全集』7・8(昭和25年・27年)や角川書店版『世界美術全集』12~14(昭和37年~38年)などで、啓蒙的概説をおこなっている。昭和33年に毎日放送番組審議会委員(昭和58年まで)、また、同年11月京都大学インド仏跡調査隊に参加し、各地の仏教遺跡を調査する。昭和34年NHK地方番組審議会委員(昭和52年まで)、同年文部省短期留学生としてヨーロッパ各地の美術館を見学し、オックスフォード大学、パリ大学において講演及び講義をおこなう。昭和37年2月、「中国石窟寺院の研究」により、京都大学より文学博士号を授与される。昭和37年12月、日中美術史家代表訪中団の一員として戦後初めて中国を訪問し、北京、西安、南京、蘇州等をまわる。昭和38年京都市交響楽団顧問となる。昭和41年、デ・ヤング美術館(サンフランシスコ)における東洋美術国際シンポジウム出席のためアメリカを訪問する。昭和44年、京都大学を停年退官、同大学名誉教授となり、同年から京都橘女子大学教授、昭和53年同大学学長、昭和61年同大学を退任、同大学名誉教授となる。その間、昭和50年に黒川古文化研究所理事となり、また、昭和51年には勲三等旭日中綬章を受章した。昭和62年、京都府文化賞特別功労賞を受賞した。長廣の学風は、西洋美術史の様式論の古代中国青銅器研究への応用という初期から、雲岡石窟における多年の調査に基づく実証性と『飛天の芸術』に示されるようなダイナミックな思考方法を特色とする中期、さらには後年、芸術と人、芸術と思想に対する研究へと転換してゆくが、一貫して横たわるのは芸術に対する豊かな感性である。さらに特筆すべきは、長廣自身「飯よりもすき」(『中国美術論集』あとがき)と述べる音楽に対する深い造詣であり、西洋古典音楽に関する評論も多数のこした。以下に主な著書を掲げるが、論文を含む詳細な業績については、「長廣敏雄教授著作目録」(『東方学報』京都第41冊・昭和45年3月)及び『アプサラス-長廣敏雄先生喜寿記念論文集』所載の著作目録に詳しい。また、自叙伝としては、「私の歩んだ道」(1)~(4)(『古代文化研究』43・平成3年2月~12月・刊行中)及び『雲岡日記』(日本放送出版協会・昭和63年)がある。
主要著書
『響堂山石窟』(水野清一共著・東方文化学院京都研究所・昭和12年)
『メルスマン音楽通論』(翻訳・第一書房・昭和14年、昭和28年に音楽書院より改訂版)
『龍門石窟の研究』(水野清一共著・座右宝刊行会・昭和16年)
『リーグル美術様式論』(翻訳・座右宝刊行会・昭和17年、岩崎美術社より改訂版)
『古代支那工芸史に於ける帯鈎の研究』(東方文化学院京都研究所・昭和18年)
『大同の石仏』(水野清一共著・座右宝刊行会・昭和21年)
『北京の画家たち』(全国書房・昭和21年)
『大同石仏芸術論』(高桐書院・昭和21年)
『飛天の芸術』(朝日新聞社・昭和24年)
『雲岡石窟』16巻(水野清一共著・京大人文科学研究所刊・昭和26~31年)
『敦煌』(中国の名画シリーズ)』(平凡社・昭和32年)
『雲岡と龍門』(中央公論美術出版・昭和39年)
『漢代画象の研究』(編著・中央公論美術出版・昭和40年)
『南陽の画像石』(美術出版社・昭和44年)
『六朝時代美術の研究』(美術出版社・昭和44年)
『奈良の寺4 法隆寺五重塔の塑像』(岩波書店・昭和49年)
『歴代名画記』1、2(訳注・東洋文庫305・311・平凡社・昭和52年)
『中国美術論集』(講談社・昭和59年)

出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(325-326頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「長廣敏雄」『日本美術年鑑』平成3年版(325-326頁)
例)「長廣敏雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10477.html(閲覧日 2024-04-19)

以下のデータベースにも「長廣敏雄」が含まれます。

外部サイトを探す
to page top