天野太郎

没年月日:1990/11/15
分野:, (建)
読み:アマノ, タロウ*、 Amano, Taro*

 東京芸術大学名誉教授の建築設計家天野太郎は、11月15日午前2時37分、心不全のため、神奈川県鎌倉市の聖テレジア病院で死去した。享年72。大正7(1918)年7月27日、広島県呉市に生まれ、昭和20年早稲田大学工学部建築学科を卒業する。同年より同30年まで鹿島建設株式会社設計部に勤務。この間の同24年より26年まで遠藤新建築創作所にも勤務し、同27年フランク・ロイド・ライトのタリヤセン・フェローシップによりタリヤセンに遊学する。同28年、米国を経由して帰国。同30年工学院大学建築学科助教授となる。同34年より37年まで、有限会社天野太郎研究室を設立、運営。同36年中近東工科大学客員教授としてトルコ、アンカラに赴任し、ひき続いて文部省在外研究員として欧州の建築事情を視察した後帰国する。同37年工学院大学を退き東京芸術大学美術学部建築学科助教授となり、同39年より58年まで同教授として教鞭をとった。同58年退官にあたり名誉教授の称号を授与される。フランク・ロイド・ライトの建築理論を日本に紹介し、長く教職にあって後進を指導したほか、昭和38有限会社天野・吉原設計事務所顧問となって、公共建築を中心にその理論の実際例を示した。代表作に新花屋敷ゴルフクラブ、嵐山カントリー・クラブ、東京芸術大学図書館、同絵画科教室、同彫刻陳列館、長野国際会館などがある。著作もよくし、『フランク・ロイド・ライト』(共著)、『建築の発想』(共著)、『日本建築家全集』などを著した。

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出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(324-325頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「天野太郎」『日本美術年鑑』平成3年版(324-325頁)
例)「天野太郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10322.html(閲覧日 2021-01-22)
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