吉賀大眉

没年月日:1991/10/13
分野:, (陶)
読み:よしかたいび

 日本芸術院会員で平成2年文化功労者に選ばれたほか日展常務理事、現代工芸美術家協会副会長をつとめていた萩焼作家吉賀大眉は、10月13日午前5時5分、解離性大動脈リュウ破裂のため、山口県萩市の都志見病院で死去した。享年76。大正4(1915)年2月8日、山口県萩市に萩焼作家吉賀要作の長男として生まれる。本名寿男。幼時から父に学び陶芸の道に志し、昭和7(1932)年、萩商業学校を出て商工省京都陶磁器試験所に入所。ここで沼田一雅に出会って陶彫を学び、それがきっかけとなって同8年東京美術学校彫刻科に入学。同13年同科を卒業。同年の第2回新文展に彫塑「女」を出品して初入選。同15年の奉祝展にも「女」で入選した。同15年沼田一雅の窯に通い師事したほか、板谷波山清水六和などにも指導を受け、同17年には加藤土師萌の窯に通う。同18年11月、萩に戻って制作に入る。同年第6回新文展に「陶花器」で入選。戦後も日展に出品を続けたほか、同26年全国陶芸展に「象嵌四方花瓶」を出品して奨励賞受賞。同30年第11回日展に「壷(貼線文)」を出品して北斗賞、同31年第12回日展では「花器」で同賞、同32年第13回日展では「顔」で特選および北斗賞を受賞した。翌33年、社団法人となった第1回日展に「陶花器 人物」を出品して特選、同36年同会会員となる。この頃までは掛分けや白萩釉を得意としたが、ギリシアやエジプトのアラバスターの器物に魅かれ、これを陶で試みて新境地を開き、同44年改組第1回日展に「暁雲」を出品して内閣総理大臣賞受賞。同46年、前年の日展出品作「連作暁雲」により日本芸術院賞を受け、同57年日本芸術院会員となったほか、現代工芸術美家協会副会長に就任した。「大眉白」と呼ばれる白釉、「大眉井戸」と呼ばれる井戸茶碗など、独自の技法、作風で知られ、光のドラマの演じられる暁や朝の空の様を柔かい色調で陶にあらわして、萩焼に現代感覚を生かした新たな世界を開いた。平成2(1990)年4月、東京日本橋三越で「作陶50年 吉賀大眉展」が開かれている。

新文展、日展出品歴
第2回新文展(昭和13年)「女」(彫)、奉祝展(同15年)「女」(彫)、第6回新文展(同18年)「陶花器」、日展第2回(同21年秋)「麦文花瓶」、3回「草花文水盤」、7回「玉簾文花器」、8回「萩釉シマ文花瓶」、9回「線文花瓶」、10回(同29年)「陶花器『線と角による構成』」、11回「壷(貼線文)」(北斗賞)、12回「花器」(北斗賞)、13回「顔」(特選)(北斗賞)、社団法人日展第1回(同33年)「陶花器 人物」(特選)、2回「花器」、3回「白釉横線文花瓶」、4回「白釉花瓶」、5回「白釉壷雪層」、6回「陶壷幻影」、7回「白萩釉方壷」、8回「白陶壷」、9回「陶壷暁雲」、10回(同42年)「深雪」、11回「燦」、改組日展第1回(昭和44年)「暁雲」(内閣総理大臣賞)、2回「連作暁雲」、3回「光芒」、4回「燦光」、5回「朝」、6回「長頚花器」、7回「広口花器『朝』」、8回「暁雲細口花器」、9回「平壷『雪海』」、10回(同53年)「連作平壷」、11回「連作『麦』」、12回「連作朝霧」、13回「朝霧大海」、14回「広口花器暁雲」、15回「連作 朝」、16回「映雲」、17回「連作映雲」、18回「円底壷映雲」、19回「平壷映雲」、20回(同63年)「暁雲細口花器」、21回(平成元年)「連作 朝」、22回「円底壷映雲」

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(304-305頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月26日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「吉賀大眉」『日本美術年鑑』平成4年版(304-305頁)
例)「吉賀大眉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10318.html(閲覧日 2024-04-19)

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