西脇順三郎

没年月日:1982/06/05
分野:, (美,関)
読み:ニシワキ, ジュンザブロウ*、 Nishiwaki, Junzaburo*

 現代詩人の最長老、慶應義塾大学名誉教授の西脇順三郎は、6月5日急性心不全のため新潟県小千谷市の小千谷総合病院で死去した。享年88。昭和初年以来現代美術の動向にも大きな影響を与えた西脇は、明治27(1894)年1月20日新潟県北魚沼郡に生まれた。少年時代から英語と絵を好み、同44年中学卒業後画家を志して上京、藤島武二の内弟子となり、また、黒田清輝に許されて白馬会に入りデッサンを学び、洋画研究を目的にフランス留学を望むが、父の死などによりやがて画家志望を断念する。大正6年慶應義塾大学理財科を卒業。同9年荻原朔太郎の『月に吠える』に接し衝撃を受け、自らも口語自由詩をつくることを決意する。同11年から14年まで英国に留学、オックスフォード大学で古代中世英語・英文学を学び、この間、芸術家との交友でモダニズムの洗礼を受け、印象派絵画に接し、また、イギリス人画家マジョリ・ビットルと結婚(のち離婚)する。同15年慶大文学部教授に就任、当時の文科の学生、佐藤朔、滝口修造らと親交をはじめ、日本におけるキュビスム、ダダ、シュール・レアリスム、イマジスムなど、新芸術運動の中心となり、「三田文学」を執筆の拠点とする。昭和2年、日本最初のシュール・レアリスム・アンソロジー「馥郁タル火夫ヨ」を刊行、その後、詩論を次々に発表して芸術革命の実践に入った。同4年『超現実主義詩論』を刊行、同8年には第二詩集『Ambarvalia,あむばるわりあ』を刊行し評価を決定づけ、新詩運動の中心的存在となる。戦後は、膨大な作品を発表し詩人の真面目を発揮、同31年の『第三の神話』で翌年度第8回読売文学賞を受賞、同36年日本芸術院会員(第二部文学)となり、同46年には文化功労者に選ばれる。この間、はやくから美術論も執筆したが、晩年は飯田善国との合作詩画展(「クロマトポイエ」南天子画廊、同47年)の開催、池田満寿夫との合作詩画集、(『Gennaio A Kyoto』『traveller’s joy』同47年)の刊行などのほか、同43年には文芸春秋画廊で「西脇順三郎展」(南天子画廊主催)を、同56年には草月美術館で回顧展「西脇順三郎の絵画」展を開催し、「詩人の余技」の域をこえた本格的な絵画作品として話題となった。詩画集に『籜』(同47年)、画集に『西脇順三郎の絵画』(同57年)がある。

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出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(274頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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