佐和隆研

没年月日:1983/01/05
分野:, (学)

嵯峨美術短期大学学長、密教図像学会会長で密教美術研究の第一人者である佐和隆研は、1月5日午前11時3分、急性心不全のため京都市右京区泉谷病院で死去。享年71。明治44(1911)年3月9日、広島県佐伯郡に生まれた。昭和10年3月、京都帝国大学文学部哲学科(美学美術史専攻)を卒業後、同年4月から同大学大学院に進むと同時に醍醐寺霊宝館主事に就任した。同12年4月、大学院を中退し高野山大学仏教芸術科に専任の講師として赴任し、同15年4月から助教授、17年4月に教授となり、24年3月まで仏教芸術学科主任教授であった。同年6月からは京都市立美術専門学校教授に就任し、翌25年4月から同校が京都市立美術大学として発足するにともない同大学教授となり、同38年12月から40年12月までは京都市立美術大学附属図書館長を併任した。さらに同大学が名称変更して京都市立芸術大学となった44年4月から美術学部長を、つづいて同46年10月からは49年5月に退職するまでの2年5ケ月間、同大学の学長をつとめた。その後、同年10月からは嵯峨美術短期大学に学長として迎えられた。
 専門とする研究分野は日本の密教美術であったが、インド・東南アジア美術にも及んだ。研究活動は、京都帝大大学院に進むと同時に就任した醍醐寺霊宝館主事としての宝物調査から始まり、密教美術の宝庫である醍醐寺に所蔵される宝物に関する研究の成果は『図像』(昭和15年)、仏教図像集の中の『醍醐寺蔵十二天形像』(同17年)さらに『密教美術』(古文化叢刊、同22年)として発表され、日本における密教美術史研究の基礎を固めた。敗戦後に意欲的に発表された研究論文の中から一部を選んで『密教美術論』(同30年)、『日本の密教美術』(同36年)が刊行され、密教美術研究史上画期的な成果をあげた。『日本の密教美術』に対し同37年3月、京都大学より文学博士の学位が授与された。この頃から密教美術の源流を究明するためにインド・東南アジア美術の研究に着手し、同35年、39年、42年に海外学術調査を実施し、その報告が『仏教の流伝-インド・東南アジア-』(同46年)、『密教美術の源流』(57年)として刊行された。また近年にはこれまでの研究成果をまとめ或いは増訂した『日本の仏教美術』(同56年)、『白描図像の研究』(57年)が相ついで著わされた。
 密教美術研究を進める一方、研究者に基礎的資料を提供するための多くの企画の発案者推進者であった。すなわち『仏像図典』(37年)、『密教辞典』(50年)など辞典類の刊行、『御室版両部曼荼羅集』(47年)、『弘法大師行状絵巻』(48年)など複製類の刊行、『弘法大師真蹟集成』(48~49年)、『密教美術大観』の編集刊行は研究者を大いに稗益するものであった。また醍醐寺や石山寺に所蔵される宝物・古文書・聖教類の調査と整理を毎年実施し『醍醐寺総合調査目録・第一巻(仏画・肖像画・白描画像之部)』(46年)が公表された。
 さらに研究の発展を願って研究誌『仏教芸術』の創刊に努力し、亡くなるまで編集と執筆の両方に活躍した。また、密教学、仏教史学、美術史学の研究者を結集した密教図像学会の設立を提唱し、同56年9月、推されてその初代会長に就任した。なお、研究活動を開始した醍醐寺霊宝館にあっては戦後に主事から館長となる一方、同52年醍醐寺文化財研究所の所長に就任、翌年からは「研究紀要」が創刊されている。
 また、密教美術を一般の人々に紹介する概説書の刊行にも力を注ぎ、著書『密教の美術(日本の美術8)』(同39年)、編著『仏像図典』(37年)、『仏像-心とかたち-』(40年)は多くの人々に迎えられ、とくに後者は同40年の第19回毎日出版文化賞を受賞した。主な著書は次の通り。
醍醐寺蔵十二天形像(仏教図像集) 便利堂 昭和15年2月
図像 アトリヱ社 同15年10月
高野山 便利堂 同22年8月
密教美術(古文化叢刊32) 大八州出版 同22年9月
密教美術論 便利堂 同30年11月
日本の密教美術 便利堂 同36年5月
仏像案内 吉川弘文館 同38年9月
日本の仏像(日本歴史新書) 至文堂 同38年10月
密教の美術(日本の美術8) 平凡社 同39年8月
仏教美術入門(教養文庫) 社会思想社 同41年9月
日本密教-その展開と美術-(NHKブックス48) 日本放送協会 同41年10月
醍醐寺(秘宝8) 講談社 同42年10月
仏像の流伝-インド・東南アジア- 法蔵館 同46年11月
空海の軌跡 毎日新聞社 同48年6月
密教の寺-その歴史と美術- 法蔵館 同49年11月
醍醐寺(寺社シリーズ1) 東洋文化社 同51年3月
隨論密教美術 美術出版社 同52年7月
日本の仏教美術 三麗社 同56年12月
密教美術の源流 法蔵館 同57年3月
白描図像の研究 法蔵館 同57年11月
空海とその美術 朝日新聞社 同59年3月

出 典:『日本美術年鑑』昭和59年版(291-292頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「佐和隆研」『日本美術年鑑』昭和59年版(291-292頁)
例)「佐和隆研 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10230.html(閲覧日 2024-03-29)

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