岡田謙三

没年月日:1982/07/25
分野:, (洋)

東洋的なユーゲニズム(幽玄主義)の画風で国際的評価を得た洋画家岡田謙三は、7月25日午前10時25分、心臓障害のため東京都目黒区の自宅で倒れ、近くの日扇会第一病院で意識不明のまま死去した。享年79。1902(明治35)年9月28日神奈川県横浜市に、貿易商の父嘉蔵、母やすの3男として生まれる。22年東京美術学校西洋画科に入学、同期生に小磯良平牛島憲之山口長男猪熊弦一郎らがおり、そのグループ「上杜会」は現在も続く。在学中の24年渡仏、半年間アカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエールでデッサンを学び、27年サロン・ドートンヌに「ボートのある海浜風景」が入選、同年秋帰国する。29年第16回二科展に「女の部屋」「夏休み」が初入選、以後戦前は主に二科に出品し、33年特待、34年無鑑査、35年会友、36年推奨、37年会員となり、戦後47年第1回会員努力賞を受賞、洗練された叙情的な作風で注目される。39年昭和洋画奨励賞を受賞し、同年日本大学芸術科講師に招かれた。50年48歳にして渡米、ジャクソン・ポロック、ウィレム・デ・クーニング、フランツ・クラインらが抽象表現主義を激しく展開していたニューヨークに住む。ここで瀟洒な色彩と日本人独特の感性を反映させた独自の抽象絵画を創作、有力な画商ベティ・パーソンズに認められ、53年ベティ・パーソンズ画廊で第1回個展を開催、大きな反響を呼ぶ。大和絵や料紙装飾の美意識を感じさせる色調とマチエールは、ユーゲニズム(幽玄主義)の名でもてはやされ、アメリカの激しい抽象表現主義最盛期の中で静的画家として一躍脚光を浴びる。更に55年サンパウロ・ビエンナーレ出品、ピッツバーグ国際美術展ガーデン・クラブ賞受賞(「軟材」)、また同年コーコラン美術館でイサム・ノグチとの2人展開催、57年コロンビア絵画ビエンナーレ1等賞、58年ベネチア・ビエンナーレで日本人として初めてアストーレ・マイエル賞、ユネスコ絵画コンテスト最高賞をそれぞれ受賞、59年以降ホイットニー美術館の現代アメリカ絵画展出品、60年フォード財団美術賞受賞と、各種の国際展に出品し世界的評価を得るに至る。殊に戦後美術の中心のニューヨークでイサム・ノグチに続く日本人画家として活躍し、海外で活動しながら精神的日本回帰を果たした稀有の画家とされる。67年「渡米後の回顧展」により第8回毎日芸術賞を受賞、69年病気のため帰国して以後は、東京とニューヨークを往復、82年春、東京・福岡で大回顧展が開かれた。代表作品に「シルク」(47年)「決」(56年)「矢」(56年)「元禄」(58年)「夕顔」(62年)「井筒」(66年)などがある。また作品はホイットニー美術館、ボストン美術館、コロンビアミュージアムほか全米各地、及び日本各地の美術館に収蔵されている。若い頃より心臓が弱かったが、82年3月前立セン肥大手術のため東京・築地の国立がんセンターに入院、退院後自宅で療養していた。
年譜
1902 9月 28日、神奈川県横浜市に生まれる。父嘉蔵、母やす。5男3女の三男である。父は貿易商であった。
1908 この年、東京市外品川町に転居する。
1915 3月 森村学園初等部を卒業する。
4月 明治学院中等部に入学する。
1921 3月 明治学院中等部を卒業する。
1922 4月 東京美術学校西洋画科に入学する。
1924 1月 3日、横浜出帆の箱根丸で渡仏の途に就く。半年ほど、アカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエールでデッサンを学ぶ。
1927 この年、サロン・ドートンヌに「ボートのある海浜風景」が入選する。
秋、パリから帰国する。
1928 5月 日本橋三越において個展をひらき、「傘」など67点を発表する。
この年、帝展に出品したが落選する。
1929 9月 第16回二科美術展に「女の部屋」「夏休み」が初入選する。
1930 4月 日本橋三越において個展をひらく。
9月 第17回二科展に「白衣の女」が入選する。
1931 9月 第18回二科展に「婦人像」「婦人像」「花売」が入選する。
1932 9月 第19回二科展に「バルコン」「舞」「アコーデオン」が入選する。
「人物」
1933 9月 第20回二科展に「舞台」「朝」「少女」が入選し、特待に挙げられる。
1934 9月 第21回二科展に「野辺」「海と馬」「假装」を出品(無鑑査)する。
1935 4月 東京府美術館開館10周年記念現代綜合美術展覧会に「舞」(1932)を出品する。
9月 第22回二科展に「野外習作」「おはなし」「ブランコ」を出品、会友に推薦される。
1936 9月 第23回二科展に「室内」「時」「二人」を出品、推奨に挙げられる。
12月 日動画廊において第1回個展をひらき、「花売」「窓」「パリー裏街」「パリーセーヌ河」「子供」「少女」「黄色の帽子」「ノートルダム」「花売」「読書」「巖」「セーヌ河」「静物」「少女」「女」「腕環」「ノートルダム」「夏の裏街」「帽子」「果実」「花」「雨のノートルダム」「海浜」「岬」「顔」「顔」「顔」「花売」「高原」「花売」「花売」「冬」「河」「山」「嵐」「岬」「入江」「白い帽子」「花」「花」「湖」「花」「首飾」「バラ」「青の着物」(以上小品45点)を発表する。
1937 4月 明治、大正、昭和三聖代名作美術展覧会(大阪市立美術館)に「馬」(1934)を出品する。
5月 上杜会第10回展(東京府美術館)に「花を持てる少女」を出品する。
9月 第24回二科展に「つどひ」「海辺」「裸婦」を出品、会員に推挙される。
12月 日動画廊において第2回新作発表展をひらき、「山中の村」「二人」「路地」「マスク」「花売」「都会」「湖」「薔薇」「灯」「巴里セーヌ河」「パリの裏街」「秋」「街の夜」「花束を持てる少女」「河流」「夕暮」「柵にもたれる少女」「肘をつける女」「話」「森」「田園風景」など30点を出品する。
1938 9月 第25回二科展に「野外裸婦」「練習」「幕合」を出品する。
12月 日動画廊において第3回新作発表展をひらき、「花売」「巴里風景」「鏡」「湖畔の城」「騎馬」「曲芸」「橋のある風景」「裏街」「山中の村」「山道」「湖水」「果実を運べる女」「海」「花園」「風」など46点を出品する。
1939 2月 20日、昭和13年度昭和洋画奨励賞を受賞する。
9月 第26回二科展に「母と子」「高原」「二人の女」を出品する。
12月 日動画廊において第4回新作発表展をひらき、「花瓶」「山」「馬」「橋のある風景」「花売(其一)」「港」「花束」「花売(其二)」「海」「花売(其三)」「花売(其四)」「二人」「庭」「二人の女」「花売(其五)」「帽子」など24点を出品する。
この年、日本大学芸術科の講師に招かれる。
1940 8月 第27回二科展に「小屋」「ぶらんこ」を出品する。
10月 紀元二千六百年奉祝美術展に「花売」を出品する。
12月 日動画廊において第5回新作発表展をひらき、「花売」「並木」「二人」「籠」「噴水」「装」「山」「収穫」など26点を出品する。
1941 春、熱河を中心にハルピン、奉天に写生旅行をする。
9月 第28回二科展に「森」「曲芸師」「小供」を出品する。
11月 仏印巡回日本油絵展に「果実を持てる女」を出品する。
12月 日動画廊において第6回新作発表展をひらき、「街(承徳)」「夕のラマ廟」「街の広場(承徳)」「屋根(承徳)」「ラマ廟」「裸婦」「白衣」「ツンガリ河附近(ハルピン)」「土塀(承徳)」「城内附近(奉天)」「ラマ廟附近」「ラマ廟と人家」「丘(承徳)」「黄色い壁の家(ハルピン)」「丘と道(承徳)」など31点を出品する。
1942 春、きみ夫人と一緒に渡満し、奉天、新京、大連に旅行し、写生する。
9月 第29回二科展に「北市場」「北市場」「門口」を出品する。
1943 9月 第30回二科展に「群像習作」を出品する。
10月 第6回文部省美術展覧会に「風影」を出品する。
1946 9月 第31回二科展に「楽屋の一隅」「紅色の上衣」を出品する。
1947 9月 第32回二科展に「シルク」「春」を出品、第1回会員努力賞を受賞する。
12月 北荘画廊において個展をひらく。
1948 3月 二科春季展に「二人裸婦」を出品する。
9月 第33回二科展に「ノクターン」「詩人」を出品する。
12月 北荘画廊において第2回個展をひらく。
1949 1月 読売新聞社主催ベスト・スリー洋画展(銀座、松坂屋)に出品する。
2月 読売新聞社主催第1回日本アンデパンダン展(東京都美術館)に「アトリエ」を出品する。
9月 第34回二科展に「五人」を出品する。
1950 1月 現代美術自選代表作十五人展(読売新聞社主催)に「花売」(1931)「野外裸婦」(1938)「ラマ寺」(1941)「紅色の上衣」(1946)「春」(1947)「シルク」(1947)「窓辺」(1948)を出品する。
2月 北荘画廊において個展をひらく。
3月 1949年度選抜秀作美術展に(朝日新聞社主催)「アトリエ」を出品する。
8月 11日パリ時代の旧友ソール・シャーリーの保証で、きみ夫人と共に横浜から渡米、ニューヨークのシャーリーの家に滞在する。以後ニューヨークに住む。
1952 「竹」
1953 11月 ニューヨークのベティ・パーソンズ画廊で第1回個展をひらき、「ナンバー3」「アブストラクション ナンバー7」「ナンバー19」など14点を発表する。
1954 5月 グッゲンハイム美術館の『ヤンガー・アメリカン・ペインターズ』展に選ばれて「至」を出品する。
「足跡」
1955 5月 第3回日本国際美術展(毎日新聞社主催)に「水彩NO.1」を出品する。
7月 第3回サンパウロ・ビエンナーレに出品する。
ピッツバーグ国際美術展に「軟材」を出品、ガーデン・クラブ賞を受賞する。
この年、ベティ・パーソンズ画廊で第2回の個展をひらき、また、ワシントンのコーコラン美術館でイサム・ノグチとの2人展をひらく。
「横断」、「時」、「銀」、「ディセンディングブルー」、「黒と象牙色」
1956 秋、ベティ・パーソンズ画廊で第3回個展をひらく。
「浮遊」、「矢」、「世紀」、「素」、「主張」、「決」、「リターニング ライフ」、「竹」
1957 3月 コロンビア絵画ビエンナーレ(サウス・カロライナ州、コロンビア美術館)で1等賞を受賞する。
5月 アメリカン・アカデミー・オブ・アーツ・アンド・レターズとナショナル・インスティチュート・オブ・アーツ・アンド・レターズ主催の展覧会に「生地」「夜の絵巻」「天使」を出品する。
6月 ミネアポリス・インスティチュート・オブ・アーツの『アメリカ絵画-1945~1957年』展に出品する。
11月 世界の中の日本抽象美術展(朝日新聞社主催)に「作品」を出品する。
「杵 ナンバー1」「記憶」
1958 1月 7日、7年ぶりに帰国する。
5月 第3回現代日本美術展(毎日新聞社主催)に「元禄」を出品、国立近代美術館賞を受賞する。
6月 『抽象絵画の展開』展(国立近代美術館)に「菱」(1958)を出品する。
第29回ベネチア・ビエンナーレに8点を出品、アストーレ・マイエル賞を受賞する。
また、ユネスコ絵画コンテストの最高賞も獲得した。
同月、日本橋高島屋において個展をひらき、28点を発表する。
9月 5日、プレジデント・フーバー号で横浜出帆、アメリカへ向う。
12月 ピッツバーグ国際美術展に「洞穴への入口」を出品し、主催者のカーネギー財団に買い上げられる。
この年、二科会を退会する。
「湧」、「間隔」、「交叉」、「還」、「花」、「緑と白」
1959 4月 アメリカ抽象6人展(ギャラリー・キムラ)に「明け方NO.2」を出品する。
11月 ベティ・パーソンズ画廊において第4回個展をひらき、「断崖」「波」「青」「夜の湖」「呼吸」など15点を発表する。
12月 ホイットニー美術館の『現代アメリカ絵画1959年度展』に出品する。
「英雄」「雨」
1960 1月 フォード財団が全米の優秀な芸術家を選んで授与する美術賞の受賞者6人の1人に選ばれ、1万ドルを贈られる。
この年、アメリカ合衆国の市民権を獲得する。
1961 5月 第6回日本国際美術展に「扇」を出品する。
10月 ピッツバーグ国際美術展の審査員となり、「白と金」を出品する。
10月 20日、東京に帰る。
12月 彌生画廊において個展をひらき、「聞く」など9点を発表する。
1962 この年、ベティ・パーソンズ画廊で第5回個展をひらき、「点」、「夕顔」、「コンポジション」、「セット」、「側」、「結」、「斜」、「支」、「夢」、「帰」、「時」、「自身」などを発表する。「朱」
1963 9月 フレデリクトン(カナダ)のビーバーブルック美術館で開催されたダン現代絵画国際展(サー・ジェームズ・ダン財団主催)に「子孫」(1959)を出品、ダン国際賞を受賞する。(同展覧会は、11月に、ロンドンのテート・ギャラリーでも開催された。)
12月 ホイットニー美術館の『現代アメリカ絵画1963年度展』に「夕顔」を出品する。
「赤と青」
1964 1月 ベティ・パーソンズ画廊で第6回個展をひらき、「垂直」「白の間」「緑」「三つの白」「交」「聞く」「滝」「白と黒」「方向」「オレンジ」「側」「最初から」「時」「軌道」(以上14点)を発表する。
6月 ホイットニー美術館の『アメリカ美術の25年-1939~1964年』展に「記憶」(1957)を出品する。
この年、ホテル・ニューオータニのために、壁画「季」を制作する。
「垂直」
1965 1月 第16回秀作美術展に「季」を出品する。
6月 二科50周年回顧展(新宿ステーションビル)に「バルコン」(1932)「少女」(1933)を出品する。
10月 『在外日本作家展-ヨーロッパとアメリカ』(東京国立近代美術館)に「最初から」(1964)を出品する。
アルブライト・ノックス美術館において回顧展をひらき、1931年から1965年にいたる出品54点を展示する。
12月 ホイットニー美術館の『現代アメリカ絵画1965年度展』に「オープン」を出品する。
「隅田川」、「夜の向日葵」、「銀と金」、「梅」、「銀」、「重」
1966 5月 日本橋高島屋において、『岡田謙三展-1952年から1965年まで-』(朝日新聞社主催)が開催される。「静物」(1952)「予想」(1953)「ナンバー19」(1953)「野2」(1953)「アブストラクションNO.7」(1953)「アブストラクションNO.12」(1953)「早春」(1954)「ナンバー36」(1954)「飛1」(1955)「池」(1955)「矢」(1956)「決」(1956)「世紀」(1956)「生地」(1956)「夜の絵巻」(1956)「素」(1956)「杵NO.1」(1956-57)「エニグマ」(1958)「洞穴への入口」(1958)「門」(1959)「英雄」(1959)「夜の湖」(1959)「明」(1959)「夢」(1962)「返る」(1962)「夕顔」(1962)「三つの白」(1963)「羽衣」(1964)「木の精」(1964)「垂直」(1964)「重」(1965)「梅」(1965)「銀と金」(1965)(以上34点)を展示する。この展覧会は、6月に国立近代美術館京都分館で、8月から9月にかけてハワイのホノルル・アカデミー・オブ・アーツで、10月から12月にかけてサンフランシスコのM・H・デ・ヤング記念美術館で、翌1967年の1月から2月にかけてテキサス大学美術館で開催された。
6月 近代日本洋画の150年展(神奈川県立近代美術館)に「翳」(1961)を出品する。
9月 28日、ニューヨークへ帰る。
「黒と白」、「井筒」、「黒と銀」
1967 1月 16日、「渡米後の回顧展」の成果に対して第8回(1966年度)毎日芸術賞を贈られる。
3月 ベティ・パーソンズ画廊で第7回個展をひらき、「物語」「井筒」「青とオレンジ」「三本の白線」「含」「高山寺」「黒と白」「雲と子供」「朝の梅」「雨後」「二つの輪」など14点を発表する。
5月 第9回日本国際美術展に「雲と子供」を出品する。
12月 ホイットニー美術館の『現代アメリカ絵画1967年度展』に出品する。
1968 「帆掛舟」
1969 3月 ベティ・パーソンズ画廊で第8回個展をひらき、「松風」「月」「帆掛航」「赤とオレンジ」「能」「梅」「草」「小屋」「青い四角形」「赤と緑」「雲」「島」「桔梗」「地平」「夜明けの光」(以上15点)を発表する。
5月 第9回現代日本美術展の『現代美術20年の代表作』に「元禄」(1958)を出品する。
同月、東京に帰る。
11月 ニューヨークに帰る。以後、毎年ニューヨークと東京を往復する。
「風」
1970 「紫」、「赤」、「グレーと線」、「松」、「三つの四角形」
1971 3月 ベティ・パーソンズ画廊で第9回個展をひらき、「機」「波」「橋掛」「松」「赤」「青」「グレー」「三つの四角形」「桔梗」「葉」「竹」「岩」「繁み」「風景」などを発表する。
1972 9月 『現代の眼-近代日本の美術から』展(東京国立近代美術館開館20年記念)に「季」(1964)を出品する。
「子供と雲」、「緑 ナンバー2」、「時期」、「ピンク」、「朝顔」
1973 3月 ベティ・パーソンズ画廊で第10回個展をひらき、「朝顔」「秋」「ピンク」「菖蒲」「流れ」「芽」「宿り」「青と黄」「若竹」「島」「昇」「内」など15点を発表する。
5月 『現代日本美術展-現代美術20年の展望』に「聞く」(1961)を出品する。
6月 『戦後日本美術の展開-抽象表現の多様化』展(東京国立近代美術館)に「元禄」(1958)「聞く」(1961)を出品する。
「入江」、「オレンジ」、「枯野」
1974 1月 『アメリカの日本作家』展(東京国立近代美術館)に「入江」(1973)「オレンジ」(1973)「金と銀」(1973)を出品する。
1976 3月 ベティ・パーソンズ画廊で第11回個展をひらき、「青と緑」「赤より」「オレンジと黄」「浮」「現在と過去」「池」「ボート」「梅」など15点を発表する。
「オレンジ ナンバー2」
1978 10月 ベティ・パーソンズ画廊で第12回個展をひらき、「二双舟」「木立」「秋」「朝」「昼」「夕」「オレンジ」「暗緑色」「垣根の朝顔」など16点を発表する。
「流れ」、「菖蒲」、「夜明け」
1979 2月 ギャルリームカイにおいて個展をひらき、「枯野」「流れ」「白と茶」「島」「朝」「竹」「対照」「朝顔」「葉」「朝顔」「草」「影」「音」「喜び」「雁皮」「池」「萩」「動」「かきつばた」「緑と紫」「互い」「青」「ほたる草」「すみれ」「黄」(以上25点)を発表する。
「春風」
1980 「流れ」、「ソフトネス」などを制作する。
1981 2月 ギャルリームカイにおいて第2回の個展をひらき、「青」「緑」「オレンジ」「音」「ターニング・ライト」「交」「和」「調和」「緑と濃金」「夕日」「凧」「依」「雪の朝」「実」「浸」「簡」「柔」「昔と今」「香」「平安」「銀と金」「青と緑」「銀河」「ドオビー(ニューメキシコ)」「ニューメキシコ」「玉虫」「秋」(以上27点)を発表する。
(「岡田謙三展」(82年)図録、土屋悦郎編年譜より)

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(278-281頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「岡田謙三」『日本美術年鑑』昭和58年版(278-281頁)
例)「岡田謙三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10133.html(閲覧日 2024-11-01)

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