江藤純平
日展参与、光風会名誉会員の洋画家江藤純平は、11月16日午後10時43分、脳出血のため東京都三鷹市の杏林大学病院で死去した。享年89。明治31(1898)年3月25日大分県臼杵市に生まれる。大正7年東京美術学校西洋画科に入学し、岡田三郎助に師事して同12年同校を卒業。同年第5回帝展に「アトリエにて」で初入選。昭和3年第9回帝展に「S氏像」、翌年第10回帝展に「F君の像」を出品し、2年連続特選となる。同8年第14回帝展出品作「室内裸婦」でも特選受賞。同12年光風会に会員として参加。戦後、日展、光風会展に出品し、44年第1回改組日展に「小豆島」を出品して内閣総理大臣賞を受ける。50年より日展参与となる。戦前は人物画を中心に研究したが、戦後は風景画を多く描く。セザンヌに傾倒し、その画風は「セザンヌの草書風」とも評される。
出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(337頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「江藤純平」『日本美術年鑑』昭和62・63年版(337頁)
例)「江藤純平 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10063.html(閲覧日 2024-10-07)
例)「江藤純平」『日本美術年鑑』昭和62・63年版(337頁)
例)「江藤純平 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10063.html(閲覧日 2024-10-07)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1938年05月 上海戦線記念絵画製作
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