橋本八百二

没年月日:1979/08/13
分野:, (洋)

 洋画家で岩手県会議員をつとめた橋本八百二は、8月13日脳こうそくのため岩手医大付属病院で死去した。享年76。1903(明36)4月21日岩手県紫波郡に橋本善太、キンの四男として生まれた。1913年小学校担任教師に萬鉄五郎と交遊のあった大川英八がいて、この教師より少なからぬ影響を受けた。1921年盛岡農学校卒業後、農業の傍ら大川教師に油絵を学び、師のすゝめで上京し、川端画学校に入学した。1924年東京美術学校西洋画科に入学、在学中に白日会、槐樹社等に出品して受賞し、29年東京美術学校西洋画科本科を卒業した。この年第10回帝展に「鉱夫作業」が初入選し、以後帝展に毎年出品し、無鑑査となった。32年斉藤与里、高間惣七堀田清治らとともに東光会を創立した。戦中の44年岩手県黒沢尻町に疎開し、そのまゝ郷里にとゞまり、47年兄の後継者として県議に出馬し当選した。戦後渡欧し、滞欧作の多くを制作し展覧会を開き、75年には盛岡市岩山に盛岡橋本美術館を建設し、その館長となった。代表作「交替時間」(1930)「昼休」(31)「金券配布」(32)「凱旋門」(59)「岩手山」(73)「天に響く」(75)
略年譜
1903年(明治36年) 岩手県紫波郡に生まれる。橋本善太・キンの四男。
1913年(大正2年) 日詰尋常小学校4年のときの担任は萬鉄五郎と交遊のあった大川英八教師で、この師から少なからぬ影響を受ける。
1921年(大正10年) 盛岡農学校を卒業後、農業の傍ら大川教師に油絵の手ほどきを受け師のすすめで上京、川端画学校に入学。
1924年 東京美術学校西洋画科入学
1925年(大正14年) 白日会第2回展に「静物」を出品、白日賞受賞。
1926~28年 槐樹社展に「静物」等を出品、田中奨励賞や槐樹社賞を受賞。
1929年(昭和4年) 東京美術学校西洋画科本科を卒業、第10回帝展「鉱夫作業」入選。
1930年(昭和5年) 第11回帝展「交代時間」(特選)
1931年(昭和6年) 第12回帝展「昼休」(特選)
1932年(昭和7年) 斎藤与里、高間惣七堀田清治らとともに東光会を創立。第13回帝展「金券配布」帝国美術院推せんを受け無鑑査となる。
1933年(昭和8年) 第14回帝展「馬市」無鑑査出品。
1934年(昭和9年) 第15回帝展「収穫」無鑑査出品。
1935年(昭和10年) 第4回東光会展「雲海」ほか3点を出品。
1936年(昭和11年) 文展招待展「沼畔」世田谷の自宅に橋本八百二絵画研究所を開設する。
1937年(昭和12年) 東京朝日新聞社ホールで個展を開催。大作を中心に約100点を展示。第1回新文展「春」出品。
1938年(昭和13年) 第2回新文展「再建」。
1939年(昭和14年) 神奈川県大和村に転居。第3回新文展「鉱煙」50号。
1942年(昭和17年) 陸軍省の委嘱により藤田嗣治等とともに南支、仏印、海南島方面に従軍、戦争記録画を制作。
1943年(昭和18年) フィリピン、ニューギニア方面へ従軍。
1944年(昭和19年) 「ニューギニア作戦」完成。神奈川県から岩手県黒沢尻町に疎開。戦時特別展「鉄鉱と戦う盛岡中学報国隊」無鑑査出品。
1946年(昭和21年) 紫波郡日詰町に転居。第2回日展「梅」。
1947年(昭和22年) 兄善太の後継者として推され、県議選に立候補、当選。岩手美術連盟の美術研究所開設に尽力。
1948年(昭和23年) 県立美術工芸学校の創設に尽力。
1957年(昭和32年) 盛岡市川徳デパートで個展を開催、50余点を展示。
1959年(昭和34年) 渡欧。パリを中心に各地で制作。
1961年(昭和36年) 盛岡市県公会堂で滞欧作130余点を展示。
1962年(昭和37年) 岩手県紫波町に橋本美術館を着工。64年完成、自らの代表作を一般公開。
1965年(昭和40年) 盛岡市県公会堂で近作展を開催100余点を展示。
1966年(昭和41年) 第9回日展「南部盛岡チャグチャグ馬コ」入選。
1968年(昭和43年) 東京大丸百貨店で開催の太平洋戦争名画展に「加藤健夫中佐肖像」出品。
1970年(昭和45年) 岩手日報文化賞受賞。
1971年(昭和46年) 盛岡市岩山に盛岡橋本美術館を計画、着工。
1972年(昭和47年) 橋本八百二画集刊行。岩手県民会館で画業50年記念展を開催。
1975年(昭和50年) 盛岡橋本美術館を開館、館長となる。
1976年(昭和51年) 河北文化賞受賞(50年度)河北新報社。
1977年(昭和52年) 盛岡橋本美術館を財団法人に組織変え。(50年度)
1979年(昭和54年) 東北の風景を描き続け、8月13日没。

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(288-289頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「橋本八百二」が含まれます。
to page top