阿部金剛

没年月日:1968/11/20
分野:, (洋)

 二科会会員の洋画家、阿部金剛は、11月20日午後10時25分、心筋コウソクのため東京逓信病院で死去した。享年68歳。阿部金剛は、明治33年6月26日、岩手県盛岡市において、元東京府知事阿部浩の長男として生まれた。母は、梅花と号した書家であった。東京府第一中学校を卒業、慶応義塾大学文学部予科に入学したが、岡田三郎助に師事して絵画を学び、大学を中途退学して、大正15年(1926)フランスに留学、アカデミー・ジュリアン、アカデミー・ランソンに入って学び、専らビシェールの指導をうけた。そのほか、藤田嗣治、キスリングなどの影響をうけ、昭和2年(1927)に帰国、昭和4年16回二科展に「Girleen」「Rien」が初入選し、以後二科展に超現実主義風の作品を発表、昭和17年二科会会友に推挙された。その間に、「超現実主義絵画論」(天人社版)「阿部金剛画集」(第一書房)の著書を刊行した。戦後派、再建された二科会に参加、昭和22年会員となり、「Rein」の連作を発表したが、昭和35年(1960)から昭和42年(1967)までメキシコ、アメリカに滞在、帰国して前夫人三宅艶子のもとで病没した。寿延、寿廷散士の号がある。
作品略年譜
昭和4年「Girleen」「Rien」16回二科展、同5年「Amazonne」「Rien」(二科展)、同6年「P氏の修辞学第二」「スエズの碇泊」(二科展)、同8年「意志と肉体と化学」(二科展)、同9年「貿易風」「バビア・ブランカ」(二科展)、同10年「美しき音の世界」(二科展)、同15年「月夜」(二科展)、同16年「習作」「習作」(二科展)、同22年「イヴ」(二科展)、同24年「オダリスク」「美しき対立」、同25年「ネプチューン」「月」、同26年「Lady」、同27年「レダ」「シジフの神話」、同28年「Rein」2点、同29年「Rein」三部作、同30年「黒猫」、同32年「Rein1・2」、同33年「Rein H.J.G.I」、同34年「Rein A-1、B-1、C-1」、同35年「作品1・2・3」、同36年「作品603」「作品602」

出 典:『日本美術年鑑』昭和44年版(69頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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